・・・のみならず次第に衰弱する。その上この頃は不如意のため、思うように療治をさせることも出来ない。聞けば南蛮寺の神父の医方は白癩さえ直すと云うことである。どうか新之丞の命も助けて頂きたい。………「お見舞下さいますか? いかがでございましょう?・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・――それは神経衰弱に違いないさ。よろしい。さようなら。」 陳は受話器を元の位置に戻すと、なぜか顔を曇らせながら、肥った指に燐寸を摺って、啣えていた葉巻を吸い始めた。 ……煙草の煙、草花のにおい、ナイフやフォオクの皿に触れる音、部屋の・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・君はその時神経衰弱とか号して甚意気が昂らなかった。が、殆丸太のような桜のステッキをついていた所を見ると、いくら神経衰弱でも、犬位は撲殺する余勇があったのに違いない。が、最近君に会った時、君は神経衰弱も癒ったとか云って、甚元気らしい顔をしてい・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・の男も、身体つきから様子、言語、肩の瘠せた処、色沢の悪いのなど、第一、屋財、家財、身上ありたけを詰込んだ、と自ら称える古革鞄の、象を胴切りにしたような格外の大さで、しかもぼやけた工合が、どう見ても神経衰弱というのに違いない。 何と……そ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 僕のからだは、土用休み早々、国府津へ逃げて行った時と同じように衰弱して、考えが少しもまとまらなくなった。そして、僕が残酷なほど滅多に妻子と家とを思い浮べないのは、その実、それが思い浮べられないほどに深く僕の心に喰い込んでいるからだとい・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・二葉亭にもし山本伯の性格の一割でもあったら、アンナにヤキモキ悶えたり焦々したりして神経衰弱などに罹らなかったろう。社会的にも最少し成功したろう。が、気の毒なる哉二葉亭は山本伯とは全く正反対に余りに内気であった、余りに謙遜であった、かつ余りに・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ その時、母はいいわけするのもあほらしいという顔だったが、一つにはいいわけする口を利く力もないくらい衰弱しきっていて、私に乳を飲ませるのもおぼつかなく、びっくりした産婆が私の口を乳房から引き離した時は、もう母の顔は蝋の色になっていて歯の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ しかし一代は衰弱する一方で、水の引くようにみるみる痩せて行き、癌特有の堪え切れぬ悪臭はふと死のにおいであった。寺田はもはや恥も外聞も忘れて、腫物一切にご利益があると近所の人に聴いた生駒の石切まで一代の腰巻を持って行き、特等の祈祷をして・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・つまり咳をしなくなったというのは、身体が衰弱してはじめてのときのような元気がなくなってしまったからで、それが証拠には今度はだんだん呼吸困難の度を増して浅薄な呼吸を数多くしなければならなくなって来た。 病勢がこんなになるまでの間、吉田はこ・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
出典:青空文庫