・・・ちがうと首をふったが、その、冷く装うてはいるが、ドストエフスキイふうのはげしく錯乱したあなたの愛情が私のからだをかっかっとほてらせた。そうして、それはあなたにはなんにも気づかぬことだ。 私はいま、あなたと智慧くらべをしようとしているので・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・ 田島は妙な虚栄心から、女と一緒に歩く時には、彼の財布を前以て女に手渡し、もっぱら女に支払わせて、彼自身はまるで勘定などに無関心のような、おうようの態度を装うのである。しかし、いままで、どの女も、彼に無断で勝手な買い物などはしなかった。・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・馬場は躊躇せず、その報いられなかった世界的な名手がことさらに平気を装うて薄笑いしながらビイルを舐めているテエブルのすぐ隣りのテエブルに、つかつか歩み寄っていって坐った。その夜、馬場とシゲティとは共鳴をはじめて、銀座一丁目から八丁目までのめぼ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・と無理に分別顔を装うて言った。「ひどいわ。あたしが軽はずみの好色の念からあなたに言い寄ったとでもお思いなの? ひどいわ。これはみな呉王さまの情深いお取りはからいですわ。あなたをお慰め申すように、あたしは呉王さまから言いつかったのよ。あな・・・ 太宰治 「竹青」
・・・雄の酔狂振りも、あれは本物、また、笑いながら厳粛の事を語れと教える哲人ニイチェ氏も、笑いながら、とはなんだ、そんな冗談めかしたりして物を言う奴は、やっぱり、ふざけた奴なんだ、という事になって、鉄面皮を装う愚作者は、なんの事はない、そのとおり・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・しかし若い男や女が、二重廻やコートや手袋襟巻に身を粧うことは、まだ許されていない時代である。貧家に育てられたらしい娘は、わたくしよりも悪い天気や時侯には馴れていて、手早く裾をまくり上げ足駄を片手に足袋はだしになった。傘は一本さすのも二本さす・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・国家を代表するかの観を装う文芸委員なるものは、その性質上直接社会に向って、以上のような大勢力を振舞かねる団体だからである。 もし文芸院がより多く卑近なる目的を以て、文芸の産出家に対して、個々別々の便宜を、その作物上の評価に応じて、零細に・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装うのは偽りである。――私の答弁はざっとこんなものでありました。 いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もな・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・が、眠れもしないのに眠ったふうを装うことは、全く苦しいことであった。だが、何かしら彼の心の底で好奇心に似た気持ちが、彼にその困難を堪えしめた。 深谷は、昨夜と同じく何事もないように、ベッドに入ると五分もたたないうちに、軽い鼾をかき始めた・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・我輩は斯る田舎らしき外面を装うよりも、婦人の思想を高きに導き、男女打交りて遊戯談笑自由自在の間にも、疑わしき事実の行われざるを願う者なり。教育の必要も此辺に在りと知る可し。籠の中に鳥を入れ、此鳥は高飛せずとて悦ぶ者あるも感服するに足らず。我・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫