・・・―― 万世橋向うの――町の裏店に、もと洋服のさい取を萎して、あざとい碁会所をやっていた――金六、ちゃら金という、野幇間のような兀のちょいちょい顔を出すのが、ご新姐、ご新姐という、それがつい、口癖になったんですが。――膝股をかくすものを、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・え、千ちゃん、まあ何でも可いから、お前様ひとつ何とかいって、内の御新造様を返して下さい。裏店の媽々が飛出したって、お附合五六軒は、おや、とばかりで騒ぐわねえ。千ちゃん、何だってお前様、殿様のお城か、内のお邸かという家の若御新造が、この間の御・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 喧嘩早く、物見高く、町中見栄を張りたがり、裏店の破れ障子の中にくすぶっても、三月の雛の節句には商売道具を質においても雛段を飾り、娘には年中派手な衣裳を着せて、三味線を習わせ、踊を仕込むという町であった。そのために随分無理をする親もあっ・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・例えば当時の富人の豪奢の実況から市井裏店の風景、質屋の出入り、牢屋の生活といったようなものが窺われ、美食家や異食家がどんなものを嗜んだかが分かり、瑣末なようなことでは、例えば、万年暦、石筆などの存在が知られ、江戸で蝿取蜘蛛を愛玩した事実が窺・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・どんな裏店でも朝顔の鉢ぐらいは見られる。これが見られる間は、日本人は西洋人にはなりきれないし、西洋の思想やイズムはそのままの形では日本の土に根をおろしきれないであろうとは常々私の思うことである。 日本人の遊楽の中でもいわゆる花見遊山はあ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・子の著『猿論語』、『酒行脚』、『裏店列伝』、『烏牙庵漫筆』、皆酔中に筆を駆ったものである。 わたしは子の遺稿を再読して世にこれを紹介する機会のあらんことを望んでいる。大正十二年七月稿・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・あるいはこれを捨てて用いざらんか、怨望満野、建白の門は市の如く、新聞紙の面は裏店の井戸端の如く、その煩わしきや衝くが如く、その面倒なるや刺すが如く、あたかも無数の小姑が一人の家嫂を窘るに異ならず。いかなる政府も、これに堪ゆること能わざるにい・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 武岳と云う医者の横と、葉茶屋の横との、三尺ばかりの曲り口も、如何にも貧弱に、裏店と云う感じを与える。 木戸が開いて居るので、庭へ廻り、ささくれた廊下や、赤土で、かさかさな庭を見、此が自分の家になるのかと、怪しいような心持さえした。・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
出典:青空文庫