・・・そこで本間さんは思い出したように、白葡萄酒の杯をとりあげながら、わざと簡単に「西南戦争を問題にするつもりです」と、こう答えた。 すると老紳士は、自分も急に口ざみしくなったと見えて、体を半分後の方へねじまげると、怒鳴りつけるような声を出し・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・現代の日本は暫く措いても、十四世紀の後半において、日本の西南部は、大抵天主教を奉じていた。デルブロオのビブリオテエク・オリアンタアルを見ると、「さまよえる猶太人」は、十六世紀の初期に当って、ファディラの率いるアラビアの騎兵が、エルヴァンの市・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ 地誌を按ずるに、摩耶山は武庫郡六甲山の西南に当りて、雲白く聳えたる峰の名なり。山の蔭に滝谷ありて、布引の滝の源というも風情なるかな。上るに三条の路あり。一はその布引より、一は都賀野村上野より、他は篠原よりす。峰の形峻厳崎嶇たりとぞ。し・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 老臣は船の上で、夜になれば空の星影を仰いで船のゆくえを知り、また朝になれば太陽の上るのを見てわずかに東西南北をわきまえたのであります。そのほかはなにひとつ目に止まるものもなく、どこを見ても、ただ茫々とした青海原でありました。あるときは・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・その語る言葉は、日本語にちがいなく、畿内、山陰、西南海道の方言がまじっていて聞きとりがたいところもあったけれど、かねて思いはかっていたよりは了解がやさしいのであった。ヤアパンニアの牢のなかで一年をすごしたシロオテは、日本の言葉がすこし上手に・・・ 太宰治 「地球図」
・・・まして祖父を見た事のない、あるいは朧気にしか覚えていない子供等には、会津戦争や西南戦争時代の昔話は書物で見る古い歴史の断片のようにしか響かないだろう。そしてそれだけにかえって祖父に対するなつかしみは浄化され純化されて子供等の頭の中の神殿に収・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
エジソンの蓄音機の発明が登録されたのは一八七七年でちょうど西南戦争の年であった。太平洋を隔てて起こったこの二つの出来事にはなんの関係もないようなものの、わが国の文化発達の歴史を西洋のと引き合わせてみる時の一つの目標にはなる・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・「忍ヶ岡ハ其ノ東北ニ亘リ一山皆桜樹ニシテ、矗々タル松杉ハ翠ヲ交ヘ、不忍池ハ其ノ西南ヲ匝ル。満湖悉ク芙蓉ニシテ々タル楊柳ハ緑ヲ罩ム。雲山烟水実ニ双美ノ地ヲ占メ、雪花風月、優ニ四時ノ勝ヲ鍾ム。是ヲ東京上野公園トナス。其ノ勝景ハ既ニ多ク得ル事・・・ 永井荷風 「上野」
・・・丁度、西南戦争の後程もなく、世の中は、謀反人だの、刺客だの、強盗だのと、殺伐残忍の話ばかり、少しく門構の大きい地位ある人の屋敷や、土蔵の厳めしい商家の縁の下からは、夜陰に主人の寝息を伺って、いつ脅迫暗殺の白刄が畳を貫いて閃き出るか計られぬと・・・ 永井荷風 「狐」
・・・このあたりを大音寺前と称えたのは、四辻の西南の角に大音寺という浄土宗の寺があったからである。辻を北に取れば竜泉寺の門前を過ぎて千束稲荷の方へ抜け、また真直に西の方へ行けば、三島神社の石垣について阪本通へ出るので、毎夜吉原通いの人力車がこの道・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫