西国を打つ
西国三十三所の観音を巡拝する。「いっその事—・つ気はないか」〈伎・吾嬬鑑〉
さいこくぐんだい【西国郡代】
江戸幕府の職名。勘定奉行に属し、豊前 (ぶぜん) ・豊後 (ぶんご) ・肥前・肥後・日向 (ひゅうが) ・筑前の天領を管轄し、管内の訴訟・収税・庶務をつかさどった。西国筋郡代。
さいこくさんじゅうさんしょ【西国三十三所】
近畿地方33か所の観世音菩薩 (かんぜおんぼさつ) を安置した霊場。信者は、ご詠歌を歌い巡礼する。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなり、札所の順序などが一定してきた。西国三十三観音。西国札所。お札所。→三十三所
さいこくじ【西国路】
江戸時代の主要街道の一。大坂から九州小倉に至る。瀬戸内海沿岸を通り、宿駅50余。中国街道。中国路。山陽道。
さいこくじゅんれい【西国巡礼】
西国三十三所の観音霊場を巡礼すること。また、その人。西国めぐり。
さいこくぶね【西国船】
九州地方を主とする廻船をいう。中国船・北国船などと区別するための呼称。