・・・が、それと同時に、ここまで追窮して置きながら、見す見すその事実なるものを逸してしまうのが、惜しいような、心もちもした。そこへまた、これくらいな嚇しに乗せられて、尻込みするような自分ではないと云う、子供じみた負けぬ気も、幾分かは働いたのであろ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・と言った、その二階がいつもあのざまなのだろう。見す見す堕落の淵に落し入れられるのであった。未練がないだけ、僕は今かえって仕合せだと思ったが、また、別なところで、かれらの知らないうちにああいう社会にはいって、ああいう悪風に染み、ああいう楽しみ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・彼等をシベリアへよこした者は、彼等がこういう風に雪の上で死ぬことを知りつつ見す見すよこしたのだ。炬たつに、ぬくぬくと寝そべって、いい雪だなあ、と云っているだろう。彼等が死んだことを聞いたところで、「あ、そうか。」と云うだけだ。そして、それっ・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・扨は何処までも物惜みなされて、見す見す一党の利になることをば、御一分の意地によって、丹下右膳が申す旨、御用い無いとかッ。」 目の色は変った。紫の焔が迸り出たようだった。怒ったのだ。「…………」「然程に物惜みなされて、それが何の為・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・に立つべき面々は皆他界の人になって、廟堂にずらり頭を駢べている連中には唯一人の帝王の師たる者もなく、誰一人面を冒して進言する忠臣もなく、あたら君徳を輔佐して陛下を堯舜に致すべき千載一遇の大切なる機会を見す見す看過し、国家百年の大計からいえば・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・中にもその家の親子二人、子はまだ六つになるならず、母親とてもその大飢渇に、どこから食を得るでなし、もうあすあすに二人もろとも見す見す餓死を待ったのじゃ。この時、疾翔大力は、上よりこれをながめられあまりのことにしばしは途方にくれなされたが、日・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ところが、その船の修繕には二ヵ月もかかって、その冬期は見す見す何杯かのがしてしまったが、手間どったには理由があった。 話はヨーロッパ大戦当時にまで遡る。当時そこへ新たにドックをこしらえて儲けた某という人物があった。大戦終局とともに持ちき・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・「あなたがたは、いつも家庭の平和とか親子の情とかやかましく云っているのだから、見す見す中耳炎と分っているのに放っといて、一家の主人を留置場で殺すことも出来ないでしょう」「ふむ」 いがぐり頭を片手で後から撫であげ、唇をかむようにし・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・けれ共、東京で桜が末になるまで、冬の寒さにつかまえられて、雪の積った中に祖母を見す見す残して行く事を考えれば、そうも出来ない。皆気が利かないから私でも居なければ、暖まらない時に湯タンポを入れたり、夜着の肩を打いてあげるのは一人も居ないんです・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫