・・・これには勇み立った遠藤も、さすがに胆をひしがれたのでしょう、ちょいとの間は不思議そうに、あたりを見廻していましたが、忽ち又勇気をとり直すと、「魔法使め」と罵りながら、虎のように婆さんへ飛びかかりました。 が、婆さんもさるものです。ひ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 突然仁右衛門がそういって一座を見廻した。彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れのにこやかな顔を見ると、吸い寄せられるようになって、いう事をきかないではいられなかった。蓆が持ち出された。四人は車座になった。一人は気軽・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ さて一列の三つ目の椅子に腰を卸して、フレンチは一間の内を見廻した。その時また顫えが来そうになったので、フレンチは一しょう懸命にそれを抑制しようとした。 広間の真中にやはり椅子のようなものが一つ置いてある。もしこの椅子のようなものの・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 後前を見廻して、「それはね、城のお殿様の御寵愛の、その姉さんだったと言いましてね。むかし、魔法を使うように、よく祈りのきいた、美しい巫女がそこに居て、それが使った狢だとも言うんですがね。」 あなたは知らないのか、と声さえ憚って・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・二坪にも足らない小池のまわり、七度も八度も提灯を照らし回って、くまなく見回したけれども、下駄も浮いていず、そのほか亡き人の物らしいもの何一つ見当たらない。ここに浮いていたというあたりは、水草の藻が少しく乱れているばかり、ただ一つ動かぬ静かな・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・キチンと四角に坐ったまま少しも膝をくずさないで、少し反身に煙草を燻かしながらニヤリニヤリして、余り口数を利かずにジロジロ部屋の周囲を見廻していた。どんな話をしたか忘れてしまったが、左に右く初めて来たのであるが、朝の九時ごろから夕方近くまで話・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・夏蜜柑の皮を剥きながら、此の草葺小屋の内を見廻した。年増の女が、たゞ独り、彼方で後向になって針仕事をしていた。そばを食べると昔の歌をうたって聞かせるという話だが、何も歌わなかった。 私が、この小舎を出る時、二人旅人が入って来た。・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・その男はしばらくそこらを見廻していたが、やがて舌打をして、「阿母、俺の着て寝る布団がねえぜ。」と上り口から呶鳴った。「ああそう、忘れていた、今夜は一人殖えたんだから。」と言う上さんの声がして、間もなく布団を抱えて上ってきた。 男・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 赤井は、なんだ、なんだと集まって来た弥次馬を見廻しながら、「この人達に、貴様が戦争の終った日に、何と何とをトラックで運ばせたか、一部始終ばらしたるぞ!」 そう言うと、隊長は思わず真赧になって、唸っていたが、やがて、「覚えと・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ どこかで見ていた人はなかったかと、また自分は見廻して見た。垂れ下った曇空の下に大きな邸の屋根が並んでいた。しかし廓寥として人影はなかった。あっけない気がした。嘲笑っていてもいい、誰かが自分の今為たことを見ていてくれたらと思った。一瞬間・・・ 梶井基次郎 「路上」
出典:青空文庫