・・・から落ちざまに、さながら、昼顔の花に縋ったようなのは、――島田髭に結って、二つばかり年は長けたが、それだけになお女らしい影を籠め、色香を湛え、情を含んだ、……浴衣は、しかし帯さえその時のをそのままで、見紛う方なき、雲井桜の娘である。・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と声ふるえて、後ろの巡査に聞こえやせんと、心を置きて振り返れる、眼に映ずるその人は、……夜目にもいかで見紛うべき。「おや!」と一言われ知らず、口よりもれて愕然たり。 八田巡査は一注の電気に感ぜしごとくなりき。 ・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・一目見ても見紛う処はない、お雪が話したそれなんで。 小宮山は思わず退った、女はその我にもあらぬ小宮山の天窓から足の爪先まで、じろりと見て、片頬笑をしたから可恐しいや。「おや、おいでなさい、柏屋のお客だね。」 言語道断、先を越され・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 庭は一隅の梧桐の繁みから次第に暮れて来て、ひょろ松檜葉などに滴る水珠は夕立の後かと見紛うばかりで、その濡色に夕月の光の薄く映ずるのは何とも云えぬすがすがしさを添えている。主人は庭を渡る微風に袂を吹かせながら、おのれの労働が為り出した快・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
ふだん近くにいない人々にとって、岡本かの子さんの訃報はまことに突然であった。その朝新聞をひろげたら、かの子さんの見紛うことのない写真が目に入り、私はその刹那何かの事故で怪我でもされたかと感じた。そしたら、それは訃報であって・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
出典:青空文庫