・・・が、幸その眼の方でも、しばらくは懸命の憎悪を瞳に集めて、やはりこちらを見返すようでしたが、見る見る内に形が薄くなって、最後に貝殻のようなまぶたが落ちると、もうそこには電柱ばかりで、何も怪しい物の姿は見えません。ただ、あの烏羽揚羽のような物が・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・……そこで一頃は東京住居をしておりましたが、何でも一旦微禄した家を、故郷に打っ開けて、村中の面を見返すと申して、估券潰れの古家を買いまして、両三年前から、その伜の学士先生の嫁御、近頃で申す若夫人と、二人で引き籠もっておりますが。……菜大根、・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・抱主を見返すと誓った昔の夢を実現するには、是非蝶子にも出世してもらわねばならぬと金八は言った。千円でも二千円でも、あんたの要るだけの金は無利子の期間なしで貸すから、何か商売する気はないかと、事情を訊くなり、早速言ってくれた。地獄で仏とはこの・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・吉田は母親がそれをおずおずでもない一種変な口調で言い出したとき、いったいそれが本気なのかどうなのか、何度も母親の顔を見返すほど妙な気持になった。それは吉田が自分の母親がこれまでめったにそんなことを言う人間ではなかったことを信じていたからで、・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・そして、安次を最も残忍な方法で放逐して了ったならば、彼は秋三の嘲笑を一瞬にして見返すことが出来るように思われた。七 安次は股引の紐を結びながら裏口へ出て来ると、水溜の傍の台石に腰を下ろした。彼は遠い物音を聞くように少し首を延・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫