・・・しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかに仕方がない。自然と内に醗酵して醸された礼式でないから取ってつけたようではなはだ見苦しい。これは開化じゃない、開化の一端とも云えないほどの・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・あっちに行って黙って立っていてここの処を好く見て、凡そこの世に生きとし生けるものは、皆な慈愛を持っているのに、其方一人がうつろな心で戯けながらに世を渡ったのじゃという事をしかと胸に覚えるが好い。(死は物を呼び寄するが如き音をヴァイオ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 段々発熱の気味を覚えるから、蒲団の上に横たわりながら『日本』募集の桜の歌について論じた。歌界の前途には光明が輝いで居る、と我も人もいう。 本をひろげて冕の図や日蔭のかずらの編んである図などを見た。それについてまた簡単な趣味と複雑な・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・ 更に、思わず私たちの唇をほころばせ、つづいてその画魂に愉快を覚えるのは、宗達がこの三人ずつの一組のところで、遠近法というものを、さかさまにしている点である。 こんな小さい縮写でさえ、力量の目ざましさにうたれる宗達が、遠くに在るもの・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ けれども、近頃、自分の心は、林町のことを思うと、暗く、淋しく沈むのを覚える。 母上は、其後の自分の心持の変化については、一言も書いて下さらない。AはAで、自分から頭を下げて謝すべき理由は見出さないと確信する。一月の時日の間に、彼等・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・エロチックの方面の生活のまるで瞑っている秀麿が、平和ではあっても陰気なこの家で、心から爽快を覚えるのは、この小さい小間使を見る時ばかりだと云っても好い位である。「綾小路さんがいらっしゃいました」と、雪は籠の中の小鳥が人を見るように、くり・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 久保田の心は一種の羞恥を覚えることを禁じ得なかった。日本の女としてロダンに紹介するには、も少し立派な女が欲しかったと思ったのである。 そう思ったのも無理は無い。花子は別品ではないのである。日本の女優だと云って、或時忽然ヨオロッパの・・・ 森鴎外 「花子」
・・・ひやりと一抹の不安を覚えるのはどうしたことだろうか。――梶は自分の心中に起って来たこの二つの真実のどちらに自分の本心があるものか、暫くじっと自分を見るのだった。ここにも排中律の詰めよって来る悩ましさがうすうすともみ起って心を刺して来るのだっ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それを説いているのが戦国末期の勇猛な武士であるというところに、我々は非常な興味を覚える。 が、『辰敬家訓』の一層顕著な特徴は、「算用」という概念を用いて合理的な思惟を勧めている点である。彼はいう、「算用を知れば道理を知る。道理を知れば迷・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・がしかしその作品の本来の美しさを感じないでも、なおそこに或る魅力を感ずる場合、例えば題材に対して興味を覚える場合には、公衆はその作品から或る影響をうける。マダム・ボヴァリーを読んで姦通を煽動されるとか、ロダンの「接吻」を見て肉欲を刺戟される・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫