・・・セオソフィストたるタウンゼンド氏はハムレットに興味を持たないにしても、ハムレットの親父の幽霊には興味を持っていたからである。しかし魔術とか錬金術とか、occult sciences の話になると、氏は必ずもの悲しそうに頭とパイプとを一しょに・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・ これが親仁は念仏爺で、網の破れを繕ううちも、数珠を放さず手にかけながら、葎の中の小窓の穴から、隣の柿の木、裏の屋根、烏をじろりと横目に覗くと、いつも前はだけの胡坐の膝へ、台尻重く引つけ置く、三代相伝の火縄銃、のッそりと取上げて、フッと・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・て、頬冠を取って苦笑をした、船頭は年紀六十ばかり、痩せて目鼻に廉はあるが、一癖も、二癖も、額、眦、口許の皺に隠れてしおらしい、胡麻塩の兀頭、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居の、七兵衛という親仁である。 七兵衛――この船頭ばか・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・あんまり悪口いうようだけど、清六はちとのろ過ぎるさ。親父だってお袋だってざま見さい。あれで清六が博打も打つからさ。おとよさんもかわいそうだ。身上もおとよさんの里から見ると半分しかないそうだし。なにおとよさんはとても隣にいやしまい」「お前・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 十年許り前に親父が未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石を持っていると云えば、世間体はよいけど、手間ばかり・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・と云って夜中、酒をすすめたので此の親仁は大変に元気よく一寸もなげく様子がない。役人が云うには「ほかにもつみがあって命をとられるものがあるのに」と云って「自分のつみは云わないで歎くものが多いのに貴方はよくお歎になりませんネ。貴方は子のかわりの・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ 数年前物故した細川風谷の親父の統計院幹事の細川広世が死んだ時、九段の坂上で偶然その葬列に邂逅わした。その頃はマダ合乗俥というものがあったが、沼南は夫人と共に一つ俥に同乗して葬列に加わっていた。一体合乗俥というはその頃の川柳や都々逸の無・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・私の親父も薬取りでした。そして、命がけで取って薬を売って歩いて、一生を貧乏で送りました。私も子供の時分から山々へ上がって、どこのがけにはなにがはえているとか、またどこの谷にはなんの草が、いつごろ花を咲いて、実を結ぶかということをよく知ってい・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・ 二郎さんは、ひったくるようにねこを受け取りながら、「やな親父だな、飼ってもらわなくていいよ。」といいました。 この権幕におそれて、きみ子さんは、逃げていってしまいました。「どうせ、こんなことだろうと思った。」と、二郎さんが・・・ 小川未明 「僕たちは愛するけれど」
・・・吉新の主の新造というのは、そんな悪でもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本が充分なという点と、それに連れてよそよりは代物をよく値を安くしたからに過ぎぬので、親父は新五郎といって、今でもやっぱり佃島・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫