この一、二年何のかのと銀座界隈を通る事が多くなった。知らず知らず自分は銀座近辺の種々なる方面の観察者になっていたのである。 唯不幸にして自分は現代の政治家と交らなかったためまだ一度もあの貸座敷然たる松本楼に登る機会がなかったが、し・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・もし戻ってもそれは全く新なる形式内容を有するもので、浅薄なる観察者には昔時に戻りたる感じを起させるけれども、実はそうではないのであります。しこうして自然主義に反動したものとするならば、新ローマン主義ともいうべきものは、自然主義対ローマン主義・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 彼は、暫く凭れにかかって、少年を観察していた。 少年は疲れた顔を、帯の輪の間に突っ込んで、深い眠りに眠りこけていた。「兄さん。おい、兄さん。冗談じゃないぜ息が詰っちまうぜ」 彼は、暫くして少年を揺り起した。少年は鈍く眼を開・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・など唱うるも耳を傾けて静に之を聞くもの有りや無しや甚だ覚束なき有様なるにぞ、只これを心に蓄うるのみにして容易に発せず、以て時機の到来を待ちたりしに、爾来世運の進歩に随い人の心も次第に和ぐと共に、世間の観察議論も次第に精密に入るの傾きある其中・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖し、予見したりするのが非常に趣味のあることとなったのである。で、面白いということは唯だ趣味の話に止ま・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・理屈ならぬ主観的歌想は多く実地より出でたるものにして、古人も今人もさまで感情の変るべきにあらぬに、まして短歌のごとく短くして、複雑なる主観的歌想を現すあたわず、ただ簡単なる想をのみ主とするものは、観察の精細ならざりし古代も観察の精細に赴きし・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ことあたらしく観察するまでもなく、大学法案に関する問題、レッド・パージに対する各大学の状態が強いられている現実を語っている。大学は、英語を使用し、英語で使用される新しい大小の官僚、事務官を養成すればことたりるところという標準で組みかえられつ・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・で、戦争に勝つのはえらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだとしてあれば、この観察の土台になっている個人主義を危険だとするのである。そんな風に穿鑿をすると同時に、老伯が素食をするのは、土地で好い牛肉が得られないか・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・ 他人のことは私は知らないが自分一人では、私は物事をどちらかというと観察しない方である。自然に眼にふれ耳にはいってくることの方を大切にしたいと思っている。観察をすると有効な場合はあるが、観察したことのために相手が変化をしてしまうので、も・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・また心理と自然と社会との観察者としても、ロシアの巨人の塁を摩する。彼もまた「人間」の運命を描いた。そして我々に新しいファウストを与えた。 私は近ごろ彼の『赤い室』をゾラの『パリ』と比較してみた。彼がゾラの影響の下にその処女作を書いたこと・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫