・・・それはこの島へ渡るものには、門司や赤間が関を船出する時、やかましい詮議があるそうですから、髻に隠して来た御文なのです。御主人は早速燈台の光に、御消息をおひろげなさりながら、ところどころ小声に御読みになりました。「……世の中かきくらして晴・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 真昼の緋桃も、その娘の姿に露の濡色を見せて、髪にも、髻にも影さす中に、その瓜実顔を少く傾けて、陽炎を透かして、峰の松を仰いでいた。 謹三は、ハッと後退りに退った。――杉垣の破目へ引込むのに、かさかさと帯の鳴るのが浅間しかったのであ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・めったに使ったことのない、大俵の炭をぶちまけたように髻が砕けて、黒髪が散りかかる雪に敷いた。媼が伸上り、じろりと視て、「天人のような婦やな、羽衣を剥け、剥け。」と言う。襟も袖も引きむしる、と白い優しい肩から脇の下まで仰向けに露われ、乳へ膝を・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・お姑さんを貴方の手で、せめて部屋の外へ突出して、一人の小姑の髻を掴んで、一人の小姑の横ぞっぽうを、ぴしゃりと一つお打ちなさい。」と……人形使 そこだそこだ、その事だ。画家 ははは、痛快ですな。しかし穏でない。夫人 (激怒したるが・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・雅人ハ則紅袖翠鬟ヲ拉シ、三五先後シテ伴ヲ為シ、貴客ハ則嬬人侍女ヲ携ヘ一歩二歩相随フ。官員ハ則黒帽銀、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶歩シ、文人ハ則瓢酒ニシテ逍遥ス。茶肆ノ婢女冶装妖飾、媚ヲ衒ヒ客ヲ呼ブ。而シテ樹下ニ露牀ヲ設ケ花間ニ氈席ヲ展ベ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・福の神の髻を攫んで放さないと云う為事だ。どうかすると、おめえそんなのを一週間に一度ずつこっそりやるのかも知れねえが。」一本腕はこう云って、顔をくしゃくしゃにして笑った。 爺いさんは真面目に相手の顔を見返して、腰を屈めて近寄った。そして囁・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ 追腹を切って阿部彌一右衛門は死んでしまったが、そうやって死んでも阿部一族への家中の侮蔑は深まるばかりで、その重圧に鬱屈した当主の権兵衛が先代の一周忌の焼香の席で、髻を我から押し切って、先君の位牌に供え、武士を捨てようとの決心を示した。・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・暫し想いを凝らせると、あの髪を角髪に結んだ若い美しい婦人が裳裾を引きながら、目の前を通るように覚えるのでした。 こうして、何処を顧みても、私達の野心を刺戟する何物もない「奈良」の天地は、古代芸術の香りを慕・・・ 宮本百合子 「「奈良」に遊びて」
・・・それは阿部権兵衛が殉死者遺族の一人として、席順によって妙解院殿の位牌の前に進んだとき、焼香をして退きしなに、脇差の小柄を抜き取って髻を押し切って、位牌の前に供えたことである。この場に詰めていた侍どもも、不意の出来事に驚きあきれて、茫然として・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 三河勢の手に余った甘利をたやすく討ち果たして、髻をしるしに切り取った甚五郎は、むささびのように身軽に、小山城を脱けて出て、従兄源太夫が浜松の邸に帰った。家康は約束どおり甚五郎を召し出したが、目見えの時一言も甘利の事を言わなんだ。蜂・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫