・・・ 丁度上野でデモが解散という刻限、朝から晴れていた空が驟雨模様になって来た。「こりゃふるね」「同じふるなら、早くたのみますね」 かわりがわり本気で窓から空模様をうかがっている。黒雲は段々ひろがった。やがて若葉の裏を翻して暗く・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・南画会が小室翠雲と関西派との衝突で解散した由。残暑をお大切に。本当にお大切に。 九月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 九月十一日 第十一信 きょうはひどく風が吹くので暑さが乾いて吹きとばされて居りますね。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・は二月解散になったし、今もってその点では問題がのこされている有様です。私はそういうことについても、其だけ切りはなして云々せず、例えば窪川鶴次郎の「風雲」という小説の批評や、横光利一の大評判になった「紋章」などにふれつつ作家としての仕事ぶり生・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・文学団体が機関誌さえも順調に刊行できず、団体解散の理由を、直接治安維持法の暴力によるものと明言し得ないで、指導者と指導理論の批判に藉口するために汲々としている雰囲気の中で、小林多喜二全集刊行がどうして実現しよう。客観的にも主観的にも全集刊行・・・ 宮本百合子 「小林多喜二の今日における意義」
・・・年あるいは半年の間に決してプロレタリア文学に対する理解の一定段階に固着していたのではなく、グループ内の作家理論家の成長と外部的情勢との摩擦によって、ある雑誌とその編輯同人をなしていたグループは発展的に解散した場合もある。 地方における活・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・の反響は、急速且つ深大であった。三四日後の朝日に谷川徹三氏の書いた年頭神宮詣りの記事は一般にその膝のバネのもろさで感銘を与え、時雨女史も賢い形で一応の挨拶を行った。「人民文庫」の解散は、武田麟太郎氏としては三月号をちゃんと終刊号として行・・・ 宮本百合子 「一九三七年十二月二十七日の警保局図書課のジャーナリストとの懇談会の結果」
・・・ このことは、ブルジョア文学の動きの上に微妙な影響を与えたばかりでなく「ナルプ」解散後のプロレタリア文学にもある反響をあたえた。それについてはのちにふれることとして、ちょうど前後してある意味ではいわゆる文壇を総立ちにさせた一作品が『文芸・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・この家は、外部の力で、持てなくなって、友達たちがよりあって、私のいなくなった家を片づけてくれ、私の姿をスケッチした額の下でその家解散の記念写真をとっておいてくれた。 この家に移ったとき、火災保険の外交員が訪ねて来た。借家だときいて一時に・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・の結成 噂のとおり、文芸懇話会が、最後に川端康成氏と尾崎士郎氏とに授賞して、十六日解散した。懇話会の主宰者・元警保局長松本学氏談として、帝国芸術院が出来上って、政府もわれわれの考えるような文化への態度を明らかにして来たから、芸術院に・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
・・・ 山田さんは、『種蒔く人』時代から日本のプロレタリア文学運動に参加して、本年二月ナルプ解散前後の多難な時をも経、略十年間、波瀾に富んだ闘争の道を歩いて来た。 私が山田さんを知ったのは一九三〇年の暮旧日本プロレタリア作家同盟の活動に参・・・ 宮本百合子 「『地上に待つもの』に寄せて」
出典:青空文庫