・・・南洋孤島の酋長東都を訪うて鉄道馬車の馬を見、驚いてあれは人食う動物かと問う、聞いて笑わざる人なし。笑う人は馬の名を知り馬の用を知り馬の性情形態を知れどもついに馬を知る事はできぬのである。馬を知らんと思う者は第一に馬を見て大いに驚き、次に大い・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・ わたくしが菊塢の庭を訪うのも亦斯くの如くである。老人が靉靆の力を借るが如く、わたくしは電車と乗合自動車に乗って向島に行き、半枯れかかっている病樹の下に立って更に珍しくもない石碑の文をよみ、また朽廃した林亭の縁側に腰をかけては、下水のよ・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・かくの如き昔ながらの汚い光景は、わたくしをして、二十年前亡友A氏と共にしばしばこのあたりの古寺を訪うた頃の事やら、それよりまた更に十年のむかし噺家の弟子となって、このあたりの寄席、常盤亭の高座に上った時の事などを、歴々として思い起させるので・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・それらのために、わたくしは今年昭和十一年の春、たまたま放水路に架せられた江北橋を渡るその日まで、指を屈すると実に二十有二年、一たびも曾遊の地を訪う機会がなかった。 * 大正九年の秋であった。一日深川の高橋から行・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 三 袖 可憐なるエレーンは人知らぬ菫の如くアストラットの古城を照らして、ひそかに墜ちし春の夜の星の、紫深き露に染まりて月日を経たり。訪う人は固よりあらず。共に住むは二人の兄と眉さえ白き父親のみ。「騎士はいずれに・・・ 夏目漱石 「薤露行」
明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
本郷の金助町に何がしを訪うての帰り例の如く車をゆるゆると歩ませて切通の坂の上に出た。それは夜の九時頃で、初冬の月が冴え渡って居るから病人には寒く感ぜられる。坂を下りながら向うを見ると遠くの屋根の上に真赤な塊が忽ち現れたのでちょっと驚い・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・我学友はあるいは台湾に往き、あるいは欧羅巴に遊ぶ途次、わざわざ門司から舟を下りて予を訪うてくれる。中にはまた酔興にも東京から来て、ここに泊まって居て共に学ぶものさえある。我官僚は初の間は虚名の先ず伝ったために、あるいは小説家を以て予を待った・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・この事は龍之介さんがわたくしを訪うに先だって小島政二郎さんがわたくしに報じてくれた。 わたくしはまた香以伝に願行寺の香以の墓に詣る老女のあることを書いた。そしてその老女が新原元三郎という人の妻だと云った。芥川氏に聞けば、老女は名をえいと・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・そうして十月十日の日記には「午前井上先生を訪う。先生の日本哲学をかける小冊子を送らる。……元良先生を訪う。小生の事は今年は望みなしとの事なり」と記されている。多分東京大学での講義のことであろう。この学期から初めて講師になって哲学の講義を受け・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫