・・・病院に着いて、二階の一室に案内せられ、院長の診察を受けたりしていると、間もなく昼飯時になった。父は病院の食物を口にしたくなかったためであろう。わたくしをつれて城内の梅園に昼飯を食べに出掛けた。その頃、小田原の城跡には石垣や堀がそのまま残って・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・病院はその後箱崎川にかかっている土洲橋のほとりに引移ったが、中洲を去ること遠くはないので、わたくしは今もって折々診察を受けに行った帰道には、いつものように清洲橋をわたって深川の町々を歩み、或時は日の暮れかかるのに驚き、いそいで電車に乗ること・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・殊に病気の時など医師に対して自から自身の容態を述ぶるの法を知らず、其尋問に答うるにも羞ずるが如く恐るゝが如くにして、病症発作の前後を錯雑し、寒温痛痒の軽重を明言する能わずして、無益に診察の時を費すのみか、其医師は遂に要領を得ずして処方に当惑・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・政治の気風が学問に伝染してなお広く他の部分に波及するときは、人間万事、政党をもって敵味方を作り、商売工業も政党中に籠絡せられて、はなはだしきは医学士が病者を診察するにも、寺僧または会席の主人が人に座を貸すにも、政派の敵味方を問うの奇観を呈す・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・爾薩待「そうですな。診察料一円に薬価一円と、二円いただきます。」農民一「はあ。」爾薩待「やあ、ありがとう。」農民一「どうもお有難うごあんした。これがらもどうがよろしぐお願いいだしあんす。」爾薩待「いや、さよなら。」爾・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・その足さきはまるで釘抜きのように尖り黒い診察鞄もけむりのように消えたのです。 ひなげしはみんなあっけにとられてぽかっとそらをながめています。 ひのきがそこで云いました。「もう一足でおまえたちみんな頭をばりばり食われるとこだった。・・・ 宮沢賢治 「ひのきとひなげし」
・・・という題で、暖かそうな机の前で白髪の爺さんが、赤い帽子の孫娘がさし出す人形をおどけた呑気な顔で診察する真似をしてやってる絵だ。二三枚同じように罪なさそうな犬っころだの小鳥だのの色刷絵がある。『キング』は労働者の家庭にも農村にも入るのだが・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・なほ子が押して診察をすすめると、不快そうに理屈を云い、やがて、全然違う話をいろいろ始めた。「こうやって寝ていると、昔のことをしきりに思い出してね、お祖母さまがいらしったうちに、いろいろ伺って置かなかったのが本当に残念だよ。――御自分でも・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・硝子の器を載せた春慶塗の卓や、白いシイツを掩うた診察用の寝台が、この柱と異様なコントラストをなしていた。 この卓や寝台の置いてある診察室は、南向きの、一番広い間で、花房の父が大きい雛棚のような台を据えて、盆栽を並べて置くのは、この室の前・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・「秀麿さんですか。診察しなくちゃ、なんとも云われませんね。ふん。そうですか。病気はないから、医者には見せないと云うのでしたっけ。そうかも知れません。わたくしなんぞは学生を大勢見ているのですが、少し物の出来る奴が卒業する前後には、皆あんな・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫