・・・ 大詐偽師だ! それよりもお前、ここへ来て俺の体を抑えていてくれ。」 彼等は互に抱き合ったなり、じっと長椅子に坐っていた。北京を蔽った黄塵はいよいよ烈しさを加えるのであろう。今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしない、濁った朱の色を・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・と呼ばれる詐偽的情事がある。すなわち将来学士となるという優越条件を利用して、結婚を好餌として女性を誘惑することだ。これは人間として最も卑怯な、恥ずべき行為である。どんなことがあっても、これだけはやってはならない。これはもう品性の死である。こ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・見廻りの途中、時々寄っては話し込んで行く赫ら顔の人の好い駐在所の旦那が、――「世の中には恐ろしい人殺しというものがある、詐偽というものもある、強盗というものもある。然し何が恐ろしいたって、この日本の国をひッくり返そうとする位おそろしいものが・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・ドリスの方は折々人に顔を見せないと、人がどうしたかと思って、疑って穿鑿をし始めようものなら、どんなまずい事になるかも知れない。詐偽の全体が発覚すまいものでもない。そこで芝居へ稽古に行く。買物に出る。デルビイの店へも、人に怪まれない位に、ちょ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・人殺しをしようが詐偽をしようがそんなことは最初から誰も引受人はないのである。 学位の出し惜しみをする審査員といえども決して神様でない限り、その人の昔の学位論文が必ず完全無欠なものとは限らず、ノーベル賞に値いするほどの大発見でもないのであ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・『桜陰比事』で偽山伏を暴露し埋仏詐偽の品玉を明かし、『一代男』中の「命捨ての光物」では火の玉の正体を現わし、『武道伝来記』の一と三では鹿嶋の神託の嘘八百を笑っている。 この迷信を笑う西鶴の態度は翻って色々の暴露記事となるのは当然の成行き・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ところがそれが詐偽だという事になって検挙され、警視庁のお役人たちの前で「実験」をやって見せる事になった。半日とか煮てパルプのようなものができた。翌朝になったら真綿になるはずのがとうとうならなくて詐偽だと決定した。こんな話が新聞に出ていたそう・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・天下の人皆財を貪るその中に居て独り寡慾なるが如き、詐偽の行わるる社会に独り正直なるが如き、軽薄無情の浮世に独り深切なるが如き、いずれも皆抜群の嗜みにして、自信自重の元素たらざるはなし。如何となれば、書生の勉強、僧侶の眠食は身体の苦痛にして、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・真の幸福や正義が、瞬間的な、或いは詐偽的な目前の方便で支配され、されるべきものだと思っている事は、恐ろしいと思う。 如何ほど聖純な祈願も、祈願する者は、私共である。外の何物でもない。そして又、其祈願が如何程失墜したとしても結局は、其祈願・・・ 宮本百合子 「断想」
・・・多数の人を陥れた詐偽師を、私が一見して看破したことは度々ある。 これに反して義務心の闕けた人、amoral な人、世間で当にならぬと云う人でも、私と対座して赤裸々に意志を発表すれば、私は愉快を感ずる。私は年久しくそう云う人と相忤わずに往・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫