・・・ 甚太夫は喜三郎の話を聞きながら、天運の到来を祝すと共に、今まで兵衛の寺詣でに気づかなかった事を口惜しく思った。「もう八日経てば、大檀那様の御命日でございます。御命日に敵が打てますのも、何かの因縁でございましょう。」――喜三郎はこう云っ・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・その岩殿へ詣でるのじゃ。――火山と云えば思い出したが、お前はまだ火山を見た事はあるまい?」「はい、たださっき榕樹の梢に、薄赤い煙のたなびいた、禿げ山の姿を眺めただけです。」「では明日でもおれと一しょに、頂へ登って見るが好い。頂へ行け・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・なき母をあこがれて、父とともに詣でしことあり。初夏の頃なりしよ。里川に合歓花あり、田に白鷺あり。麦やや青く、桑の芽の萌黄に萌えつつも、北国の事なれば、薄靄ある空に桃の影の紅染み、晴れたる水に李の色蒼く澄みて、午の時、月の影も添う、御堂のあた・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 池がある、この毛越寺へ詣でた時も、本堂わきの事務所と言った処に、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、閑らしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、赫と火の気の立つ……とそう思って差覗いたほどであった・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
一 白鷺明神の祠へ――一緑の森をその峰に仰いで、小県銑吉がいざ詣でようとすると、案内に立ちそうな村の爺さんが少なからず難色を顕わした。 この爺さんは、「――おらが口で、更めていうではねえがなす、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 風吹けば倒れ、雨露に朽ちて、卒堵婆は絶えてあらざれど、傾きたるまま苔蒸すままに、共有地の墓いまなお残りて、松の蔭の処々に数多く、春夏冬は人もこそ訪わね、盂蘭盆にはさすがに詣で来る縁者もあるを、いやが上に荒れ果てさして、霊地の跡を空しゅ・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・耕地が一面に向うへ展けて、正面に乙女峠が見渡される……この荒庭のすぐ水の上が、いま詣でた榎の宮裏で、暗いほどな茂りです。水はその陰から透通る霞のように流れて、幅十間ばかり、水筋を軽くすらすらと引いて行きます。この水面に、もし、ふっくりとした・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・志して詣でた日に、折からその紅の時は女の児、白い時は男の児が産れると伝えて、順を乱すことをしないで受けるのである。 右左に大な花瓶が据って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多しい。白菊黄菊、大輪・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 今年、四月八日、灌仏会に、お向うの遠藤さんと、家内と一所に、麹町六丁目、擬宝珠屋根に桃の影さす、真宝寺の花御堂に詣でた。寺内に閻魔堂がある。遠藤さんが扉を覗いて、袖で拝んで、「お釈迦様と、お閻魔さんとは、どういう関係があるんでしょ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・その夜、故郷の江戸お箪笥町引出し横町、取手屋の鐶兵衛とて、工面のいい馴染に逢って、ふもとの山寺に詣でて鹿の鳴き声を聞いた処…… ……と思うと、ふとここで泊まりたくなった。停車場を、もう汽車が出ようとする間際だったと言うのである。 こ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
出典:青空文庫