・・・ 鶯の声も既に老い、そろそろ桜がさきかけるころ、わたくしはやっと病褥を出たが、医者から転地療養の勧告を受け、学年試験もそのまま打捨て、父につれられて小田原の町はずれにあった足柄病院へ行く事になった。(東京で治療を受けていた医者は神田神保・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・考えて見ると学校にいた時分は試験とベースボールで死ぬと云う事を考える暇がなかった。卒業してからはペンとインキとそれから月給の足らないのと婆さんの苦情でやはり死ぬと云う事を考える暇がなかった。人間は死ぬ者だとはいかに呑気な余でも承知しておった・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・市学校は、あたかも門閥の念慮を測量する試験器というも可なり。(余輩もとより市学校に入らざる者を見て悉皆これを門閥守旧の人というに非ず。近来は市校の他に学校も多ければ、子弟のために適当の場所を選ぶは全く父母の心に存することにして、これがため、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
私は筆を執っても一向気乗りが為ぬ。どうもくだらなくて仕方がない。「平凡」なんて、あれは試験をやって見たのだね。ところが題材の取り方が不充分だったから、試験もとうとう達しなくって了った。充分に達しなかったというのは、サタイア・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・学校の試験も切迫して来るのでいよいよ脳が悪くなった。これでは試験も受けられぬというので試験の済まぬ内に余は帰国する事に定めた。菅笠や草鞋を買うて用意を整えて上野の汽車に乗り込んだ。軽井沢に一泊して善光寺に参詣してそれから伏見山まで来て一泊し・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・上田君は師範学校の試験を受けたそうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。なぜ農学校を二年もやってから師範学校なんかへ行くのだろう。高橋君は家で稼いでいてあとは学校へは行かないと云ったそうだ。高橋君のところは去年の旱魃がいちばんひどかった・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・高輪の小学校でそれは必要ないことであったかもしれないが、日本の小学校と給食児童のこと、並に上級学校への入学試験準備居のこりの姿とは切っても切りはなせない。この映画が、現代小学校生活にふくまれている諸問題を真面目に率直に披瀝して識者の関心に訴・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・これは少し専門に偏った本で、単にドイツ語を試験するには適していぬが、若しそれでも好いなら、そこで一ペエジ程読んで、その意味を私に話して聞かせて貰いたい。若し他の本が好いなら、小説もあり雑誌もあるから、その方にしようと云った。 F君は私の・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・これだけの応答が幾たびも試験を受けた。「馬が走るわ。捕えて騎ろうわ。和主は好みなさらぬか」「それ面白や。騎ろうぞや。すわやこなたへ近づくよ」 二人は馬に騎ろうと思ッて、近づく群をよく視ればこれは野馬の簇ではなくて、大変だ、敵、足・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・研究所へ着くなり栖方は新しい戦闘機の試験飛行に乗せられ、急直下するその途中で、機の性能計算を命ぜられたことがあった。すると、急にそのとき腹痛が起り、どうしても今日だけは赦して貰いたいと栖方は歎願した。軍では時日を変更することは出来ない。そこ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫