・・・「その頃の彼の手紙は、今でも私の手もとに保存してありますが、それを一々読み返すと、当時の彼の笑い顔が眼に見えるような心もちがします。三浦は子供のような喜ばしさで、彼の日常生活の細目を根気よく書いてよこしました。今年は朝顔の培養に失敗した・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・が、それほど深く愛誦反覆したのも明治二十一、二年頃を最後としてそれから以後は全く一行をだも読まないで、何十年振りでまた読み返すとちょうど出稼人が都会の目眩しい町から静かな田舎の村へ帰ったような気がする。近代の忙だしい騒音や行き塞った苦悶を描・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・もし其の暇と余裕があるならば、各作家の作品を新に読み返すことは真の文芸史を書く上から無意義であるまい。 小川未明 「ラスキンの言葉」
・・・ 仕事は熱心だから、仕事だけはズボラでない筈だが、しかし書き上げてしまうと、綴じて送ったためしはない。読み返すこともしないらしく、送った原稿が一枚抜けていたりすることも再三あった。二枚ぐらいの短かい随筆で、最初は「私」と書いているのに、・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・元来なら記憶を新たにするため一応読み返すはずであるが、読むと冥々のうちに真似がしたくなるからやめた。 一 夢 百、二百、簇がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古りたるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・幾たびか読み返すうちに、眼が一杯の涙になッた。ついに思いきった様子で、宛名は書かず、自分の本名のお里のさ印とのみ筆を加え、結び文にしてまた袂へ入れた。それでまたしばらく考えていた。 廊下の方に耳を澄ましながら、吉里は手箪笥の抽匣を行燈の・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫