・・・然し調和的な気持は永く続きませんでした。一人相撲が過ぎたのです。 私の眼がもう一度その婦人を掠めたとき、ふと私はその醜さのなかに恐らく私以上の健康を感じたのです。わる達者という言葉があります。そう云った意味でわるく健康な感じです。性にお・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・この道幅の狭い軒端のそろわない、しかもせわしそうな巷の光景がこの琵琶僧とこの琵琶の音とに調和しないようでしかもどこかに深い約束があるように感じられた。あの嗚咽する琵琶の音が巷の軒から軒へと漂うて勇ましげな売り声や、かしましい鉄砧の音と雑ざっ・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・この三つのものの正当なる権利の要求を、如何に全人として調和統合するかが結局倫理学の課題である。 三 文芸と倫理学 人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらい・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・そうすればちょっとした出来事にも深い運命や悲哀やまた美の調和や不調和やつまり人生に対する愛と悲しみの意識がだんだんこまやかになるものである。この心持はすなわち良い作の生まれる原動力になる。一、よく読書すること。われわれの・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・何故螺線的運動をするかというに、世界は元来、なんでも力の順逆で成立ッているのだから、東へ向いて進む力と、西に向て進む力、又は上向と下向、というようにいつでも二力の衝突があるが、その二力の衝突調和という事は是非直線的では出来ないものに極ッてる・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・一年に二度ずつ黄色くなる欄の外の眺めは緑に調和して画のように見えた。先生は茶を入れて皆なを款待しながら、青田の時分に聞える非常に沢山な蛙の声、夕方に見える対岸の村落の灯の色などを語り聞かせた。 間もなく三人は先生一人をこの隠れ家に残して・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・腹の立つほど、調和がなかった。三つのテエブルと十脚の椅子。中央にストオヴ。土間は板張りであった。私はこのカフェでは、とうてい落ちつけないことを知っていた。電気が暗いので、まだしも幸いである。 その夜、私は異様な歓待を受けた。私がその中年・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ ――全部が一まわり小さいので、写真ひきのばせば、ほとんど完璧の調和を表現し得るでしょう。両脚がしなやかに伸びて草花の茎のようで、皮膚が、ほどよく冷い。 ――どうかね。 ――誇張じゃないんです。私、あのひとに関しては、どうしても・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 何も人間が通るのに、評判を立てるほどのこともないのだが、淋しい田舎で人珍しいのと、それにこの男の姿がいかにも特色があって、そして鶩の歩くような変てこな形をするので、なんともいえぬ不調和――その不調和が路傍の人々の閑な眼を惹くもととなっ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・不自然と不自然が完全に調和するのである。これも畢竟、われわれが絵の犬の声を持たない事を知っているからである。それにかかわらずわれわれの視覚からくる暗示は必然にこれが何かしら歌うべきことを要求する。そこへ響いて来る歌の声が、たとえライオンのよ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫