・・・たとえば、五穀の豊饒を祈り、風水害の免除をいのり、疫病の流行のすみやかに消熄することを乞いのみまつったのである。かくして民族の安寧と幸福を保全することが為政者の最も重要な仕事の少なくも一部分であったのである。 この重要な仕事に連関して天・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・に暇請いをした。会場を出るとさわやかな初夏の風が上野の森の若葉を渡って、今さらのように生きていることの喜びをしみじみと人の胸に吹き込むように思われた。去年の若葉がことしの若葉によみがえるように一人の人間の過去はその人の追憶の中にはいつまでも・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・下婢に茶菓を持運ばせた後、その蔵幅中の二三品を示し、また楽焼の土器に俳句を請いなどしたが、辞して来路を堤に出た。その時には日は全く暮れて往来の車にはもう灯がついていた。 昭和改元の年もわずか二三日を余すばかりの時、偶然の機会はまたもやわ・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・夫が繁忙なれば之に代りて手紙往復の必要あり、殊に其病気の時など医師に容体を報じて来診を乞い薬を求むるが如き、妻たる者の義務なり。然るを如何なる用事あるも文を通わす可らずとは、我輩は之を女子の教訓と認めず、天下の奇談として一笑に附し去るのみ。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に倫理教科書を草し、その草案を福沢先生に示して批評を乞いしに、その節、先生より大臣に贈りたる書翰ならびに評論一編あり。久しく世人の知らざるところなりしかども、今日また徳教論・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・と云うのは、秋三の祖父が、血統の不浄な貧しい勘次の父の請いを拒絶した所、勘次の母は自ら応じてその家へ走ったことから始まった。祖父の死後秋三の父は莫大な家産を蕩尽して出奔した。それに引き換え、勘次の父は村会を圧する程隆盛になって来た。そこで勘・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫