・・・婆さんは背を支えて、どッさり尻をついて膝を折りざまに、お米を内へ抱え込むと、ばったり諸共に畳の上。 この煽りに、婆さんが座右の火鉢の火の、先刻からじょうに成果てたのが、真白にぱっと散って、女の黒髪にも婆さんの袖にもちらちらと懸ったが、直・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・鎧、甲、馬諸共に召し上げらるる。路を扼する侍は武士の名を藉る山賊の様なものである。期限は三十日、傍の木立に吾旗を翻えし、喇叭を吹いて人や来ると待つ。今日も待ち明日も待ち明後日も待つ。五六三十日の期が満つるまでは必ず待つ。時には我意中の美人と・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・夫が戸外の経営に失敗して貧窮に沈むが如きは、是れは夫婦諸共の不幸にして、双方の間に一点の苦情ある可らず。一沈一浮共に苦楽を同うす可しと雖も、其夫の品行修らずして内に妾を飼い外に花柳に戯れ、敢て獣行を恣にして内を顧みざるが如きは、対等の配偶者・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・聞て大に怒り、元来今回の挙は戦勝を期したるにあらず、ただ武門の習として一死以て二百五十年の恩に報るのみ、総督もし生を欲せば出でて降参せよ、我等は我等の武士道に斃れんのみとて憤戦止まらず、その中には父子諸共に切死したる人もありしという。 ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 仏教の精神によるならば慈悲である、如来の慈悲である完全なる智慧を具えたる愛である、仏教の出発点は一切の生物がこのように苦しくこのようにかなしい我等とこれら一切の生物と諸共にこの苦の状態を離れたいと斯う云うのである。その生物とは何である・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・性への爆弾というとき、我々若きジェネレーションは、女から女独特の爆発力を加えて装填した爆弾を男に只ぶつけるのではなくて、男にそれを確かと受とめさせ、とって直して、男と女との踵に重い今日の社会的羈絆から諸共に解放されようとする、その役に立てる・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・祖母は、それとは知らず、掛声諸共鼓が鳴り出すと、きっちり両手を膝につっかい、丸まった背を引のばすようにして気張った。その姿は、滑稽でもあり、また気の毒至極であった。実際聴きわける耳もないのに謡と思うとああいう風に気を張るのかと思うと、暗い一・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・ 子の為に生活するのでもなければ、親の為に生活するのでもなく、諸共に人として正しく幸福に生活して行き度いと云うのが彼等の衷心の希いである様に思われるのです。 勿論、これ等のことには、皆他の一面、他の消極があります。或る人は、それ程、・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・才能の可能性を認めて、妻であり母であると共に、人間として他の能力も発揮させたいと思っている夫の愛が、妻諸共、かまどに追われる悲劇は許されない。ピアニスト井上園子や草間加寿子が何故金持の息子と結婚しなければならなかったかということを考えれば、・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・ 生きるか死ぬか、母娘諸共と云うような場合、此方の困ることを云っては居られない。 父の上京のことも思い合わせたが、自分等は、さっぱり彼女に暇をやった。 一方には、漠然と、瞬間を利用した形跡がないでもない。Aは、先頃から彼女の、神・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
出典:青空文庫