・・・そしてその結果はたとえば大講堂や劇場の設計などに何かの有益な応用を見いだすに相違ない。 余談ではあるが、二十年ほど前にアメリカの役者が来て、たしか歌舞伎座であったかと思うが、「リップ・ヴァン・ウィンクル」の芝居をした事がある。・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・厳かな入学宣誓式が行われて、自分も大勢の新入生の中にまき込まれて大講堂へ這入ったが、様子が分らないのでまごまごしていると、中に一人物馴れた日本人が居ていろいろ注意してくれて助かった。それは先年亡くなった左右田喜一郎博士であった。自分よりはず・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・その後さらに数日たって後、同じ大学の中央にそびえた講堂の三階から飛んだ学生があったという夕刊記事を読んで、また変な気持ちがした。この終わりの自殺者と、前の図書館屋上の人とはおそらくなんの関係もないかもしれないが、しかし自分の頭の中では前後四・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推すと堺と云う所はけっして吝な所ではない、偉い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・一間の距離とか、二間の距離とかあるいは十間二十間――この講堂の大きさはどのくらいありますか――とにかく幾坪かの広がりがあって、その中に私が立っており、その中にあなた方が坐っていることになる。この広がりを空間と申します。つまりはスペースと云う・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・この鉄道は誰が敷設したという事は素人にはあまり参考になりません。この講堂は誰が作ったって問題にならない。あすこにぶらさがってるランプだか、電気だか何だか知らないが、これには何の personality もない。即ち自然の法則を apply ・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・ところがその発会式が広い講堂で行なわれた時に、何かの機でしたろう、一人の会員が壇上に立って演説めいた事をやりました。ところが会員ではあったけれども私の意見には大分反対のところもあったので、私はその前ずいぶんその会の主意を攻撃していたように記・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・もに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめて厚く、塾舎・講堂、残るところなく見るを得たり。よって・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
去年の春、我が慶応義塾を開きしに、有志の輩、四方より集り、数月を出でずして、塾舎百余人の定員すでに満ちて、今年初夏のころよりは、通いに来学せんとする人までも、講堂の狭きゆえをもって断りおれり。よってこのたびはまた、社中申合・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・ それでもある日博士は小学校から頼まれてその講堂でみんなに向うの国の話をしました。 お話がすんでから博士は校長さんたちと運動場に出てそれからあの虔十の林の方へ行きました。 すると若い博士は愕ろいて何べんも眼鏡を直していましたがと・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
出典:青空文庫