・・・ていることを発見した者は、たといどれほど自分が拠ってもって生活した生活の利点に沐浴しているとしても、新しい文化の建立に対する指導者、教育者をもってみずから任ずべきではなく、自分の思想的立場を納得して、謹んでその立場にあることをもって満足しな・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・その前で、謹んで言うのです。――お位牌も、この姐さんに、どうぞお力をお添え下さい。」 と言った。面が白蝋のように色澄んで、伏目で聞入ったお澄の、長い睫毛のまたたくとともに、床に置いた大革鞄が、揺れて熊の動くように見えたのである。「あ・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ その老臣は、謹んで天子さまの命を奉じて、御前をさがり、妻子・親族・友人らに別れを告げて、船に乗って、東を指して旅立ちいたしましたのであります。その時分には、まだ汽船などというものがなかったので、風のまにまに波の上を漂って、夜も昼も東を・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・あるいは謹んで天に事うるなどのこともあらんなれども、これは神学の言にして、我輩が通俗の意味に用うる道徳は、これを修めんとして修むべからず、これを破らんとして破るべからず、徳もなく不徳もなき有様なれども、後にここに配偶を生じ、男女二人相伴うて・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ 以上の立言は我輩が勝、榎本の二氏に向て攻撃を試みたるにあらず。謹んで筆鋒を寛にして苛酷の文字を用いず、以てその人の名誉を保護するのみか、実際においてもその智謀忠勇の功名をば飽くまでも認る者なれども、凡そ人生の行路に富貴を取れば功名を失・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 梅時分になると、よく新宿駅などに、どこそこの梅と大きい鉢植えの梅の前に立てられている、ああいう形の立札が、門の右手に立てられて、そこには、名誉戦死者××××殿と謹んで記されてある。 その立札に記されている名は、後の門の表札に記され・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・まして、私の狭い見聞は、米国の、而も紐育市附近の知識階級に限られていると云ってよろしいのですから、フランスは勿論、他の国々のことに関しては、謹んで言葉を控えます。けれども、アメリカの風俗も彼等の為に弁護する為ではなく、我々が常識として或る社・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・これが如何なるものによって解決され進展し、拡大され、完成に到るかということ、これこそ最後のもので、私が饒舌をおさめ、謹んで貴女の踏まれる一歩一歩を理解して行こうとせずにはいられない所以のものなのでございます。〔一九二一年四月〕・・・ 宮本百合子 「野上彌生子様へ」
・・・私は、謹んで引下って居ります。私もよく考えますから、どうぞ、おかあさまも、よくお考えになって下さい」と云って、立ってしまった為、一層、傷けられて感じ、絶望したように見える。 自分は、「それじゃあ、左様なら。おやすみなさいまし」・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・一体お蝶は主人に間違ったことで小言を言われても、友達に意地悪くいじめられても、その時は困ったような様子で、謹んで聞いているが、直ぐ跡で機嫌を直して働く。そして例の微笑んでいる。それが決して人を馬鹿にしたような微笑ではない。怜悧で何もかも分か・・・ 森鴎外 「心中」
出典:青空文庫