・・・ 僕等は少時待った後、護国寺前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。K君は外套の襟を立てたまま、この頃先生の短尺を一枚やっと手に入れた話などをしていた。 すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちて・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・北方の一孤島に於いて見事に玉砕し、護国の神となられた。 三田君が、はじめて私のところへやって来たのは、昭和十五年の晩秋ではなかったろうか。夜、戸石君と二人で、三鷹の陋屋に訪ねて来たのが、最初であったような気がする。戸石君に聞き合せると更・・・ 太宰治 「散華」
・・・殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにして人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外国人が我が日本国の事情を詳らかにせんとするは、容・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・きょうの辛さに喘いでいる数十万の未亡人、孤児、戦傷者たちは、かつてはすべて護国の宝であったのだ。法隆寺の例にむきだされた行政官僚の文化に対する無責任は、二月二十一日の読売にのった高瀬荘太郎文相の私立学校つけとどけ木戸御免説となって再現してい・・・ 宮本百合子 「国宝」
・・・ と一頁ごとに刷ってある『主婦之友』を読みながら、護国の妻の実話にはげまされて、良人や息子を戦場におくった母や妻は、きょう未亡人となって行末を思いわずらい、眠りかねる夜の蚊帳の中で、昔なじみの『主婦之友』をひろげたりもするだろう。そしてあて・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・この霊屋の下に、翌年の冬になって、護国山妙解寺が建立せられて、江戸品川東海寺から沢庵和尚の同門の啓室和尚が来て住持になり、それが寺内の臨流庵に隠居してから、忠利の二男で出家していた宗玄が、天岸和尚と号して跡つぎになるのである。忠利の法号は妙・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫