・・・はじめ、連立って、ここへ庭樹の多い士族町を通る間に――その昔、江戸護持院ヶ原の野仏だった地蔵様が、負われて行こう……と朧夜にニコリと笑って申されたを、通りがかった当藩三百石、究竟の勇士が、そのまま中仙道北陸道を負い通いて帰国した、と言伝えて・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 最近父親の投書には天皇制護持論が多い。 織田作之助 「実感」
・・・そして日蓮はもとよりそれを期し、法華経護持のほこりのために、むしろそれを喜んだ。 かくて三年たった。関東一帯には天変地妖しきりに起こり出した。正嘉元年大地震。同二年大風。同三年大飢饉。正元元年より二年にかけては大疫病流行し、「四季に亙つ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・幻影の盾を南方の豎子に付与す、珍重に護持せよと。われ盾を翳してその所以を問うに黙して答えず。強いて聞くとき、彼両手を揚げて北の空を指して曰く。ワルハラの国オジンの座に近く、火に溶けぬ黒鉄を、氷の如き白炎に鋳たるが幻影の盾なり。……」この時戸・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・の独特な融通性によって侵略戦争に相応したし、一九四五年の冬から天皇制論のやかましかった頃には天皇制護持のための「無」と変化しました。サルトルが流行したら「無」は実存主義によって語りだされました。何とジャーナリスティックな、かんのいい「無」で・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・誰がよんでも、護持派の文学論法であり、それは彼の戦争協力、「大人の文学」論、人間と文学との基本的権利の抹殺行動につながる林房雄の論法に、だまって肯くという態度を示さなければならないのだろう。林房雄は、『群像』十二月の座談会で宇野浩二の「文学・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 今日、共産党以外の政党は、悉く、天皇制護持という点を売りものとして、民心にこびようとしている。ラジオ放送、演説でくりかえすばかりでなく、茨城県の或るところでは、元校長の某氏が立候補して、立会演説があった。国民学校である会場へゆくと、各・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
・・・進歩党、自由党、日本社会党の一部の人はいずれも天皇制護持ということを唯一の旗じるしとしている。何故に、此等の人々の主張とその主張の固執とがあるのであろう。もし真に日本を愛するのがその論拠であるならば、愛する日本のあらゆる必要に応えて、誠心誠・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 文吉は敵を掴まえた顛末を、途中でりよに話しながら、護持院原へ来た。 りよは九郎右衛門に挨拶して、着換をする余裕はないので、短刀だけを包の中から出した。 九郎右衛門は敵に言った。「そこへ来たのが三右衛門の娘りよだ。三右衛門を・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫