・・・という護法の牒を与えた。 けれども日蓮は悦ばず、正法を立せずして、弘教を頌揚するのは阿附である。暁しがたきは澆季の世である。このまま邪宗とまじわり、弘教せんより、しばらく山林にのがれるにはしかないと、ついに甲斐国身延山に去ったのである。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・この寺は、建物も大観門から青蓮堂――観音廟を見たところ、同じ辺から護法堂へ行く窟門の眺めなど、趣き深い。永山氏の紹介で、現住三浦氏が各建物を案内し大方丈の戸にある沈南蘋の絵を見せて呉られた。護法堂の布袋、囲りに唐児が遊れて居る巨大な金色の布・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・古色を帯びた甃の上の柱廊を以て、護法堂その他の建物が連絡されている。総て朱塗だ、新に余り品質のよくない塗料で修繕した箇処もある。歴史的に古く、特別保護建造物となっているのだが、私共は大して心を打たれなかった。後に迫って山を負っているため、陰・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫