・・・勝つか、それともまた負けるか、――」 するとその時彼の耳に、こう云う囁きを送るものがあった。「負けですよ!」 オルガンティノは気味悪そうに、声のした方を透かして見た。が、そこには不相変、仄暗い薔薇や金雀花のほかに、人影らしいもの・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・上下すれば負ける事をちゃんと心得ている故なり。されど一高にいた時分は、飯を食うにも、散歩をするにも、のべつ幕なしに議論をしたり。しかも議論の問題となるものは純粋思惟とか、西田幾太郎とか、自由意志とか、ベルグソンとか、むずかしい事ばかりに限り・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・「勝つも負けるも、女は受身だ。隠すにも隠されましねえ。」 どかりと尻をつくと、鼻をすすって、しくしくと泣出した。 青い煙の細くなびく、蝋燭の香の沁む裡に、さっきから打ちかさねて、ものの様子が、思わぬかくし事に懐姙したか、また産後・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・十四のおはまにも危うく負けるところであった。実は負けたのだ。「省さん、刈りくらだよ」 というような掛け声で十四のおはまに揉み立てられた。「くそ……手前なんかに負けるものか」 省作も一生懸命になって昼間はどうにか人並みに刈った・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・もちろんかならずしも負ける方を助けるというのではない。私の望むのは少数とともに戦うの意地です。その精神です。それはわれわれのなかにみな欲しい。今日われわれが正義の味方に立つときに、われわれ少数の人が正義のために立つときに、少くともこの夏期学・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・集団との戦いですもの、負けるにきまってゝよ」と、娘が、笑ったのでした。 成程、そういえないこともなかった。彼等は、夜のうちに、死んだ友をことごとく片づけて、明くる日は、さらに新しく生活戦を開始すべく、立直っているように見えたからでした。・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・当時木村と花田は関根名人引退後の名人位獲得戦の首位と二位を占めていたから、この二人が坂田に負けると、名人位の鼎の軽重が問われる。それに東京棋師の面目も賭けられている、負けられぬ対局であったが、坂田にとっても十六年の沈黙の意味と「坂田将棋」の・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・博奕なら勝ったり負けたりする筈だが、あれは絶対に負ける仕組みだからね。必ず負けると判れば、もう博奕じゃなくて興行か何かだろう。だから検挙して検事局へ廻しても、検事局じゃ賭博罪で起訴出来ないかも知れない、警察が街頭博奕を放任してるのもそのため・・・ 織田作之助 「世相」
・・・努力せぬ者は終にはきっと負ける。初め鈍いように見える者が刻苦して大成した人は多いが、初め才能があってそれを恃んで刻苦しないために駄目になった者も多い。素質のいい才はじけぬ人が絶え間なく刻苦するのが一番いいらしい。アララギ派の元素伊藤左千夫氏・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・持主は自分の犬が勝つと喜び、負けると悲観する。でも、負けたって犬がやられるだけで、自分に怪我はない。利害関係のない者は、面白がって見物している。犬こそいい面の皮だ。 黒島伝治 「戦争について」
出典:青空文庫