・・・なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のためか、どちらか未に判然しない。蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の用語を使うと、「飜然と心を改めた。」今は何でもある株屋の番頭か何かしていると云う。この蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪我を・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・ しかし、このことは、一般が冷淡なる程、しかく差迫っていない問題であろうか、すでに、社会上の役割を終った老人等が、彼等の老後、貧困に陥り、衣食に窮するに至るとせば、当然、その責をこの社会が負うことを至当とするからである。これについては、・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・即ち、彼等の親達もしくは主人が、社会から受ける物質上、または精神上の貧困と絶望とは、無邪気な子供等にまで、いたましく反映するのを阻止することはできなかったでしょう。 しかし、厳密にいえば、健全なる家庭生活以外には、家族制度の基礎がありと・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・ そう感ずると、自分の経験の貧困に対して、悔恨の情が湧くのであります。高い山に登らなかったのが、その一つでした。山岳美に恵まれた日本に生れながら、しかも子供の時より国境の山々を憧憬したものを。なぜ足の達者なうちに踏破を試みなかったか、こ・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・ もう一つ、貧困の時代に、苦しめられたものは、病気の場合であります。手許に、いくらかの金がなくては、医者を迎えることもできない。どんなに近い処でも、医者は俥に乗って来る。その俥代を払はなければならず、そして、薬をもらいに行けば薬代は払っ・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・由来、酒を飲む日本の小説家がこの間の事情にうといことが、日本の小説を貧困にさせているのかも知れない。 日本の文壇というものは、一刀三拝式の心境小説的私小説の発達に数十年間の努力を集中して来たことによって、小説形式の退歩に大いなる貢献をし・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・れるような、そのためにクロポトキンの兄が自殺したほどの名状すべからざる苦悩であるが――から倫理学によって救済されんことを求めるからであって、そのほかの観点からすれば、形式主義の倫理学は生の現実について貧困であることはいうまでもない。意欲その・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・彼女たちの好みにまかせておれば、スマートな、物わかりのいい、社会的技能のあるような青年がふえても、深みと、敦みのある理想主義の青年などは減っていきそうに見える。貧困とたたかって民族的・社会的革新のためにたたかうような青年などはお目にとまりそ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 私たちの家の入り口へ来て立つような貧困者も多くなった。きのうは一人来た。きょうは二人来たというふうに、困って来る人がどれほどあるかしれない。震災後は働きたいにも仕事がないと言って救いを求めるもの、私たちの家へ来るまでに二日も食わなかっ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・ 失礼ながら、井伏さんは、いまでもそうにちがいないが、当時はなおさら懐中貧困であった。私も、もちろん貧困だった。二人のアリガネを合わせても、とてもその「後輩」たちに酒肴を供するに足りる筈はなかったのである。 しかし、事態は、そこまで・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫