・・・ 彼はせめて貨車の中にでも身を隠すことができたら、幸福だと考えましたので、人目をしのんで、貨車に乗り込もうとしますと、中から、思いがけなく、「だれだ?」と声がしました。そして大男が龍雄をとらえました。龍雄はもう逃れる途はないと知・・・ 小川未明 「海へ」
・・・ふと鶏は頭をあげると、貨車に鉄のかごがのせられてあって、その内から真っ黒な怖ろしい動物が、じっと円い光る目で、こちらを見ているのに出あってびっくりいたしました。鶏は、コッ、コッ、といって、友だちを呼ぼうとしました。すると、くまは、穏やかに話・・・ 小川未明 「汽車の中のくまと鶏」
・・・ 例の玩具めいた感じのする小さな汽罐車は、礦石や石炭を積んだ長い貨車の後に客車を二つ列ねて、とことこと引張って行った。耕吉はこの春初めてこの汽車に乗った当時の気持を考え浮べなどしていたが、ふと、「俺はこの先きも幾度かこの玩具のような汽車・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ポチカレオへ赤い貨車が動く。河のこちらは、支那領だ。 黒竜江は、どこまでも海のような豊潤さと、悠々さをたたえて、遠く、ザバイガル州と呼倫湖から、シベリアと支那との、国境をうねうねとうねり二千里に渡って流れていた。 十一月の初めだった・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ある時は、赤い貨車の中でストーブを焚き、一緒に顫えながら夜を明かしたこともあった。 彼等は、誰も、ものを云わなかった。毛布をかむって寝台からペンキの剥げたきたない天井を見た。 戦死者があると、いつも、もと坊主だった一人の兵卒が誦経を・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 家屋の彼方では、徹夜して戦場に送るべき弾薬弾丸の箱を汽車の貨車に積み込んでいる。兵士、輸卒の群れが一生懸命に奔走しているさまが薄暮のかすかな光に絶え絶えに見える。一人の下士が貨車の荷物の上に高く立って、しきりにその指揮をしていた。・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・鉄道線路も近いので、ボッボッボッボと次第に速く遠く消え去って行く汽車の響もきこえ、一日のうちに何度か貨車が通過するときには家が揺すぶれる。毎夜十一時すこし過ぎてから通るのが随分重いとみえて、いつもなかなかひどく揺れる。それから夜中の二時頃通・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・屋根からつららの下った貨車。そびえるエレバートルの下へ機関車にひかれて行く。何と新鮮なシベリア風景だ。 午後三時半。 晴れた西日が野にさして、雪は紫色だ。林は銅色。 小さい駅。白樺。黄色く塗った木造ステーション。チェホフ的だ。赤・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・「赤い貨車」は一九二八年の夏、ソヴェトで書いた。レーニングラードの郊外の「子供の村」という元ツァーの離宮だった町に、プーシュキンが学んだ貴族学校長の家が、下宿になっていた。そこで書いた。一九二八年の八月一日には、弟の英男が思想的な理由か・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・穀物、家畜を積んだ貨車と、農具を満載した貨車とがすれちがった。 都会だ。工場だ。都会の工業生産と、労働者との姿が巨大に素朴にかかれている。 閲兵式につづいてデモはモスクワ全市のあらゆる街筋から、この赤い広場に流れこむ。 日が暮れ・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
出典:青空文庫