・・・と耳を貫く。……称名の中から、じりじりと脂肪の煮える響がして、腥いのが、むらむらと来た。 この臭気が、偶と、あの黒表紙に肖然だと思った。 とそれならぬ、姉様が、山賊の手に松葉燻しの、乱るる、揺めく、黒髪までが目前にちらつく。 織・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・――唯今の鯖江、鯖波、今庄の駅が、例の音に聞えた、中の河内、木の芽峠、湯の尾峠を、前後左右に、高く深く貫くのでありまして、汽車は雲の上を馳ります。 間の宿で、世事の用はいささかもなかったのでありますが、可懐の余り、途中で武生へ立寄りまし・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・が草深い雑木の根を、縦に貫く一列は、殿の尾の、ずんぐり、ぶつりとした大赤楝蛇が畝るようで、あのヘルメットが鎌首によく似ている。 見る間に、山腹の真黒な一叢の竹藪を潜って隠れた時、「やーい。」「おーい。」 ヒュウ、ヒュウと幽に・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 芳様の跫音が聞えたので、はッと気が着いて駈出したが、それまでどうしていたんだか、まるで夢のようでと火花の散るごとく、良人の膚を犯すごとに、太く絶え、細く続き、長く幽けき呻吟声の、お貞の耳を貫くにぞ、あれよあれよとばかりに自ら恐れ、自ら・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ その寂寞を破る、跫音が高いので、夜更に里人の懐疑を受けはしないかという懸念から、誰も咎めはせぬのに、抜足、差足、音は立てまいと思うほど、なお下駄の響が胸を打って、耳を貫く。 何か、自分は世の中の一切のものに、現在、恁く、悄然、夜露・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・故に一人に対して現実に触れて居るとか触れて居ないとかいう事を眼に見えると否とに依って云々する事は甚だ不合理の事であって、人間のセンチメント、即ち作者の神経、感情の貫くところ――努力の通ずるところが悉く現実の世界であるという事は明かである。そ・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・少焉あって、一しきり藻掻いて、体の下になった右手をやッと脱して、両の腕で体を支えながら起上ろうとしてみたが、何がさて鑽で揉むような痛みが膝から胸、頭へと貫くように衝上げて来て、俺はまた倒れた。また真の闇の跡先なしさ。 ふッと眼が覚め・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・今十二通の裏にみなぎる春の楽しみを変えて三通を貫く苦き消息となしたもうは貴嬢ならずや。貴嬢がいかに深き事情ありと弁解きたもうとも、かいなし、宮本二郎が沈みゆく今のありさまに何の関りあらん。かの三通はげに貴嬢が読むを好みたまわぬも理ぞかし、こ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 庭を貫く流れは門の前を通ずる路を横ぎりて直ちに林に入り、林を出ずれば土地にわかにくぼみて一軒の茅屋その屋根のみを現わし水車めぐれり、この辺りには水車場多し、されどこはいと小さき者の一つなり、水車場を離れて孫屋立ち、一抱えばかりの樫七株・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ここに仮定した二点があるとして、二点を貫く曲線をブンマワシで書て見玉え、またそのブンマワシの心を動かして同くその二点を貫く曲線を書て見玉え、又そのブンマワシの心を動かして書て見玉え、有則の曲線が無数に書けるよ、実にその相互に異ったる状態を有・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
出典:青空文庫