上 実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某の日東京府下の一病院において、渠が刀を下すべき、貴船伯爵夫人の手術をば予をして見せしむることを・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・それでも、都会離れたこの浦里などでは、暗いさびしい貴船神社の森影で、この何百年前の祖先から土の底まで根をおろした年中行事がひそやかに行なわれていた。なんの罪もない日本民族の魂が警察の目を避けて過去の亡霊のように踊っていたのである。それがこの・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・どうやら夏のようにも思われる。貴船社の前を通った時は胸が痛かった。玉島のあたりははらかた釣りが夥しいが、女子供が大半を占めている。種崎の渡しの方には、茶船の旗が二つ見えて、池川の雨戸は空しく締められてこれも悲しい。孕の山には紅葉が見えて美し・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・ 貴船神社の森影の広場にほんの五六人の影が踊っていた。どういう人たちであったかそれはもう覚えていない。私にはただなんとなくそれがおとぎ話にあるようなさびしい山中の妖精の舞踊を思い出させた。そしてその時なぜだか感傷的な気分を誘われた。・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
出典:青空文庫