・・・まだ、旦那、昨日はその上に、はい鯉を一尾買入れたでなあ。」「其処へ、つけておくれ、昼食に……」 ――この旅籠屋は深切であった。「鱒がありますね。」 と心得たもので、「照焼にして下さい。それから酒は罎詰のがあったらもらいた・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・と、野菜に水をやったり、虫を駆除したりして、農村の繁忙期には、よく家の手助けをしたのですが、今年は、晩霜のために、山間の地方は、くわの葉がまったく傷められたというので、遠くからこの辺にまで、くわの葉を買い入れにきているのであります。米の不作・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・であるから少女の死は僕に取ての大打撃、殆ど総ての希望は破壊し去ったことは先程申上げた通りです、もし例の返魂香とかいう価物があるなら僕は二三百斤買い入れたい。どうか少女を今一度僕の手に返したい。僕の一念ここに至ると身も世もあられぬ思がします。・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・けれども、その出版の仕事も、紙の買入れ方をしくじったとかで、かなりの欠損になり、夫も多額の借金を背負い、その後仕末のために、ぼんやり毎日、家を出て、夕方くたびれ切ったような姿で帰宅し、以前から無口のお方でありましたが、その頃からいっそう、む・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ お客たちの来ないうちにと、私はその日にもう荷作りをはじめて、それから私もとにかく奥さまの里の福島までお伴して行ったほうがよいと考えましたので、切符を二枚買い入れ、それから三日目、奥さまも、よほど元気になったし、お客の見えないのをさいわ・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・祖父は、若いときに一人でふらりと東京に出て来て半分政治家、半分商人のような何だか危かしいことをやって、まあ、紳商とでもいうのでしょうか、それでも、どうやら成功して、中年で牛込のこの屋敷を買い入れ、落ちつくことが出来たようです。嘘か、ほんとか・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・実は一枚、あることはあるのだが、これは私が高等学校の、おしゃれな時代に、こっそり買い入れたもので薄赤い縞が縦横に交錯されていて、おしゃれの迷いの夢から醒めてみると、これは、どうしたって、男子の着るものではなかった。あきらかに婦人のものである・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・ルムコルフコイル、グローヴ電池、無定位電流計、大きな電磁石、タムソンの高抵抗ガルヴァなどを買入れた。最初にやった実験は、電流計の磁針が交流でふれることに関するものであって、その結果は同年の British Association で報告して・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・主人は喜んで新に買入れた古書錦絵の類を取出して示す。展覧に時刻を移したが、初夏の日は猶高く食時にもまだ大分間がある。さりとてこの人数袂をつらねて散歩に行くべき処もない。上野公園の森は目の前に見えているが無論行く気にはならない。兎に角一同自動・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・し既に学校に入るれば、これを放ちて棄てたるが如く、その子の何を学ぶを知らず、その行状のいかなるを知らず、餅は餅屋、酒は酒屋の例を引き、病気に医者あり、教育に教師ありとて、七、八円の金を以て父母の代人を買入れ、己が荷物を人に負わせて、本人は得・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
出典:青空文庫