・・・其の日から、其の家の戸が閉って貸家となった。何処に行ったか知らない。『あの乳飲児は、誰の児だろうか?』と私は考えた。 小川未明 「ある日の午後」
・・・ 朝飯を済まして、書留だったらこれを出せと云って子供に認印を預けて置いて、貸家捜しに出かけようとしている処へ、三百が、格子外から声かけた。「家も定まったでしょうな? 今日は十日ですぜ。……御承知でしょうな?」「これから捜そうとい・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 実験を早く切り上げて午後行一は貸家を捜した。こんなことも、気質の明るい彼には心の鬱したこの頃でも割合平気なのであった。家を捜すのにほっとすると、実験装置の器具を注文に本郷へ出、大槻の下宿へ寄った。中学校も高等学校も大学も一緒だったが、・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ 今朝彼は暖い海岸で冬を越すことを想い、そこに住んでいる友人に貸家を捜すことを頼んで遣ったのだった。 彼は激しい疲労を感じながら坂を帰るのにあえいだ。午前の日光のなかで静かに影を畳んでいた公孫樹は、一日が経たないうちにもう凩が枝を疎・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・夫も薄給で子どもをおんぶして、貸家を捜しまわった時代のことが書いてある。その人の歌に、事にふれてめをと心ぞたのもしきあだなる思ひはみなほろぶものというのがある。この「めおと心」というのが夫婦愛で、これは長い年月を経済生活、社・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・そうして八年前に私と、平凡な見合い結婚をして、もうその頃から既にそろそろ東京では貸家が少くなり、中央線に沿った郊外の、しかも畑の中の一軒家みたいな、この小さい貸家をやっと捜し当て、それから大戦争まで、ずっとここに住んでいたのです。 夫は・・・ 太宰治 「おさん」
・・・私はさっそく貸家を捜しまわっているうちに、盲腸炎を起し阿佐ヶ谷の篠原病院に収容された。膿が腹膜にこぼれていて、少し手おくれであった。入院は今年の四月四日のことである。中谷孝雄が見舞いに来た。日本浪曼派へはいろう、そのお土産として「道化の華」・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・が、誇張でなしに、血を吐きながらでも、本流の小説を書こうと努め、その努力が却ってみなに嫌われ、三人の虚弱の幼児をかかえ、夫婦は心から笑い合ったことがなく、障子の骨も、襖のシンも、破れ果てている五十円の貸家に住み、戦災を二度も受けたおかげで、・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・作がかなたの森の角、こなたの丘の上にでき上がって、某少将の邸宅、某会社重役の邸宅などの大きな構えが、武蔵野のなごりの櫟の大並木の間からちらちらと画のように見えるころであったが、その櫟の並木のかなたに、貸家建ての家屋が五、六軒並んであるという・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣よりも高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着物が、秋晴れの日向に干されたりしているのを見る時、何となく目あたらしく、いかにも郊外の生活ら・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫