・・・こういうように三方は山で塞がっているが、ただ一方川下の方へと行けば、だんだんに山合が闊くなって、川が太って、村々が賑やかになって、ついに甲州街道へ出て、それから甲斐一国の都会の甲府に行きつくのだ。笛吹川の水が南へ南へと走って、ここらの村々の・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・龍介は今度は道をかえて、賑やかな通りへ出た。歩きながら、あの汽車で帰ったら、もう家へついて本でも読めたのに、と思った。が一方、そういうはっきりしない自分をくだらなく思った。そしてこんなことはすべて、彼は恵子との事から来ていると思った。が龍介・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・聞いてみると、これもやはりアメリカの人たちの指導のおかげか、戦前、戦時中のあの野暮ったさは幾分消えて、なんと、なかなか賑やかなもので、突如として教会の鐘のごときものが鳴り出したり、琴の音が響いて来たり、また間断無く外国古典名曲のレコード、ど・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・酒席にあっては、いつも賑やかな人であるだけに、その夜の浮かぬ顔つきは目立った。やっぱり何かあったのだな、と私は確信した。 それでも、五所川原の先生が、少し酔ってはしゃいでくれたので、座敷は割に陽気だった。私は腕をのばして、長兄にも次兄に・・・ 太宰治 「故郷」
・・・美しい草花、雑誌店、新刊の書、角を曲がると賑やかな寄席、待合、三味線の音、仇めいた女の声、あのころは楽しかった。恋した女が仲町にいて、よく遊びに行った。丸顔のかわいい娘で、今でも恋しい。この身は田舎の豪家の若旦那で、金には不自由を感じなかっ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・注連飾などが見事に出来て賑やかな笑声が其処此処からきこえて来た。 しかし勇吉はじっとしてはいられなかった。正月の初めにもっと家賃の安い家を別な方面にさがして、遁げるようにして移転して行った。刑事の監視をのがれたいという腹もあった。出来る・・・ 田山花袋 「トコヨゴヨミ」
「学位売買事件」というあまり目出度からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑やかで無味な空虚の中に振り播かれた胡椒のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・大広間からは時々賑やかな朗らかな笑声が聞こえていた。数分間ごとに爆笑と拍手の嵐が起こる。その笑声が大抵三声ずつ約二、三秒の週期で繰返されて、それでぱったり静まるのである。こうした場合に人間の笑うのにはただ一と声笑っただけではどうにも収まらな・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・その隣の家で女たちの賑やかな話声や笑声がしきりにしていた。「おつるさん、おつるさん」こわれた器械からでも出るような、不愉快なその声がしきりにやっていた。 道太は初め隣に気狂いでもいるのかと思ったが、九官鳥らしかった。枕もとを見ると、・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・綺麗な金ピカなお堂がいくつもあって、その階の前で自分は浅草の観音さまのように鳩の群に餌を撒いてやったが何故このお堂の近所には仲見世のような、賑やかでお土産を沢山買うような処がないのかと、むしろ不平であった事なぞがおぼろに思い返される。 ・・・ 永井荷風 「霊廟」
出典:青空文庫