一 笆に媚ぶる野萩の下露もはや秋の色なり。人々は争うて帰りを急ぎぬ。小松の温泉に景勝の第一を占めて、さしも賑わい合えりし梅屋の上も下も、尾越しに通う鹿笛の音に哀れを誘われて、廊下を行き交う足音もやや淋しくな・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 浜は昼間の賑わいに引きかえて、月の景色の妙なるにもかかわらず人出少し。自分は小川の海に注ぐ汀に立って波に砕くる白銀の光を眺めていると、どこからともなく尺八の音が微かに聞えたので、あたりを見廻わすと、笛の音は西の方、ほど近いところ、漁船・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・枯木も山の賑わいというところだったのだが、それが激賞されるほどの善行であったとは全く思いもかけない事であった。私は、みんなを、あざむいているような気がして、浅間しくてたまらなかった。査閲からの帰り路も、誰にも顔を合せられないような肩身のせま・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・ 出入りの鳶の頭を始め諸商人、女髪結い、使い屋の老物まで、目録のほかに内所から酒肴を与えて、この日一日は無礼講、見世から三階まで割れるような賑わいである。 娼妓もまた気の隔けない馴染みのほかは客を断り、思い思いに酒宴を開く。お職女郎・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
先だっての新聞は元新興キネマの女優であった志賀暁子が嬰児遺棄致死の事件で、公判に附せられ、検事は実刑二年を求刑した記事で賑わいました。出廷する暁子として、写真も大きく載せられ、裁判所は此一人の女優の生涯に起った悲しい出来事・・・ 宮本百合子 「「女の一生」と志賀暁子の場合」
・・・華やかな桃色が走馬燈のように視覚にちらつき、いかにも女性的な興奮とノンセンスな賑わいが場内を熱くする。―― 一列に舞台の上できまり、さて桜の枝をかざして横を向いたり、廻ったり、単純な振りの踊りが始ったが、その中から顔馴染を見出すのは、案・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・赤チャンの名前が男の子はまた一苦心で、食堂のテーブルが賑わいます。今、照二郎というのを思いつき、かなりいいと思います。字面も悪くないでしょう。 十一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 十一月十一日 もう北側の・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ことしのメーデーに自立合唱団や劇団はどんな自分たちの催しものを、全勤労者のメーデーの賑わいに交える計画だろう。日本でもメーデーには勤労階級が自分たちのなかから芽ばえはじめた歌や踊りを行進のよろこびに加える段階に進んで来た。 今年もわたし・・・ 宮本百合子 「正義の花の環」
・・・そして引越したら、二三日で、溌剌騒然たる小学校の賑わいが、別して朗々たるラウド・スピーカアの響きとともに、朝から夕刻まで、崖上に巣をかけた私のしず心を失わした。夜間、青年学校が開かれるようになって遂に苦しさは絶頂に達した。この家は、外部の力・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・青年共産同盟の若々しい合唱団もトラックにのって来ていて、新協とかわりがわり歌をうたい、よろこびの日の賑わいを添えた。 今年のメーデーには、婦人、子供の参加がきわだって多かった、と翌日の新聞に伝えられたのであった。 これは東京の中心ば・・・ 宮本百合子 「メーデーに歌う」
出典:青空文庫