・・・どちらかというと背の低い体の上に、四十代の漱石の写真にあるとおりの質量のある、美しさの可能をもった大きめの顔がのって、こちらを、まだ内容のきまっていない眼ざしで眺めているのを見て、私は一ふきの風が胸をふきとおす感じに打たれた。 先年物故・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・はその描線にいかようの省略があろうとも人間云いならわした愛という言葉、よろこびという言葉、またその歎きに、どのように生新な歴史の質量がうらづけられてゆくものかということについて省略していない。大らかな虹の光りの下に立つ愛の歓喜が心情の純粋に・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・が、そこには初期の作品に見られたようなややありふれた観念の象徴はなくて、同じ底深い画面の黒さにしろ、ケーテはその暗さの中に声なき声、目ざまされるべき明るさの大きさ、集団の質量の重さを感得している。 一九二七年にケーテ・コルヴィッツの六十・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ 私は、こういう境遇にいる一人の母である作者が、永い将来の努力によって、次第に子供のための文学として、質量ともに逞しい生産をされることを切望する。その期待につれ、「村の月夜」で、私に印象された一つの疑問に触れたい。それは、この作者が、「・・・ 宮本百合子 「子供のために書く母たち」
・・・作品がどれ程巨大であり多量であろうとも、作者の質量そのものの中にあってわかった感じがするものである。作家の資質のよさわるさ、大きさ小ささ、それなりにその人を見ると何かわかるところがある。作品のすきさもわかった気がし、きらいがあるとすれば、そ・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
・・・志賀氏の作品と探偵小説とを同日に論ずべきでないが、しかし、日本のインテリゲンツィアの思想史、生きる態度、人間性の質量と方向の推移とをこの二つの作品によって調べることは可能である。 志賀氏の場合、范の理性は、法律上の物的証拠よりより深い人・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・ しぶい色、縞は、昔の日本の室内で近い目の前で見られるにふさわしいのだが、今日の東京の建築物では室内のスケールも変って来ていてその質量感にふさわしいようにという関心が、様々な色のこみすぎた盛り合わせとして現れて、却って色彩的でなくなって・・・ 宮本百合子 「働くために」
・・・が乏しいばかりでなく、大陸というものがその生活で示している巨大で複雑な主題の深さをリアルにつかんでいないことや、その主題が文学として命をもった表現を与えられるためには、作家そのものの感性が大陸生活史の質量を具えなければならないことが、分って・・・ 宮本百合子 「文学の大陸的性格について」
・・・その形、質量、などにおいて感ぜられる美しさは、人間の心の「製作」であって、肉体のものではない。さらに進んで美的価値以外の価値を問題とする時にも、同じ事は言えるであろう。しからば人間において感ぜられる一切の価値は、喜びも苦しみも悲しみも、すべ・・・ 和辻哲郎 「『劉生画集及芸術観』について」
出典:青空文庫