・・・しかも、あとから聞くと訥升が贔屓だったという話であるから驚ろく。それはおおかた嘘だろうと思う。物心がついてからは全く芝居には足を入れなかった。しかし自分の兄共は揃も揃って芝居好で、家にいると不断仮色などを使っているから、自分はこの仮色を通し・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・店にさえおいなさりゃ、御内所のお神さんもお前さんを贔屓にしておいでなさるんだから、また何とでも談話がつくじゃアありませんか。ね、よござんすか。あれ、また呼んでるよ。よござんすか、花魁。もう今じゃ来なさらないけれども、善さんなんぞも当分呼ばな・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 笑い話として、男のひとたちは、文化の創造に際して婦人の特色のように見える以上のような現象の説明に、それは芸術神たちは女だから男を御贔屓さというけれども、そもそも芸術神を三人とも女性で象徴したことのうちには、神をもわが手でこしらえた男の・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・誇るしかなかったし、その一つの示威運動として妻や娘を飾り立てずにはおられなかったろうし、妻達もいわゆる大名方の夫人達に対抗して、庶民であるが故に大袈裟な物見遊山の行列もつくれるし、芝居見物も出来るし、贔屓役者と遊ぶことも出来るし、贅を尽した・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・しかし、シェークスピアは或る時代あれだけの演劇的活動をやったが、彼を贔屓にしたエリザベス女王が亡くなると、前から心がけよくためておいた貯金と土地と家とをもって、昔かれが若く貧乏であった時、領主の鹿を売ったということでいたたまらなくした故郷の・・・ 宮本百合子 「私の会ったゴーリキイ」
・・・さてイイダ姫の舞うさまいかにと、芝居にて贔屓の俳優みるここちしてうち護りたるに、胸にそうびの自然花を梢のままに着けたるほかに、飾りというべきもの一つもあらぬ水色ぎぬの裳裾、せまき間をくぐりながらたわまぬ輪を画きて、金剛石の露こぼるるあだし貴・・・ 森鴎外 「文づかい」
・・・これは親の贔屓目ばかりではあるまい。どうぞあれが人物を識った女をよめにもらってやりたい。翁はざっとこう考えた。 翁は五節句や年忌に、互いに顔を見合う親戚の中で、未婚の娘をあれかこれかと思い浮べてみた。一番華やかで人の目につくのは、十九に・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・同じ雑誌の記事に依れば、この武士道鼓吹者には女客の贔屓が多いそうである。 しかし男に贔屓がないことはない。勿論不幸にして学生なんぞにはそんな人のあることを聞かない。学生は堕落していて、ワグネルがどうのこうのと云って、女色に迷うお手本のト・・・ 森鴎外 「余興」
・・・ だが身贔負で、なお幾分か、内心の内心には「まさか殺されはせまい」の推察が虫の息で活きている。それだのに涙腺は無理に門を開けさせられて熱い水の堰をかよわせた。 このままでややしばらくの間忍藻は全く無言に支配されていたが、その内に破裂・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「して見ると、あなたの御贔屓のエルリングは、余りお世辞はないと見えますね。」「それはそうでございます。お世辞なんぞはございません。」こう云っておばさんは笑った。 己にはこの男が段々面白くなって来た。 その晩十時過ぎに、もう内・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫