私がまだ赤門を出て間もなく、久米正雄君と一ノ宮へ行った時でした。夏目先生が手紙で「毎木曜日にワルモノグイが来て、何んでも字を書かせて取って行く」という意味のことを云って寄越されたので、その手紙を後に滝田さんに見せると、之は・・・ 芥川竜之介 「夏目先生と滝田さん」
・・・ 俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が丹であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。 仁王門の柱に、大草鞋が――中には立った大人の胸ぐらいなのがある――重って、稲束の木・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・暫らくしてS・S・Sというは一人の名でなくて、赤門の若い才人の盟社たる新声社の羅馬字綴りの冠字で、軍医森林太郎が頭目であると知られた。 鴎外は早熟であった。当時の文壇の唯一舞台であった『読売新聞』の投書欄に「蛙の説」というを寄稿したのは・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ あるバスの女車掌は大学赤門前で、「ダイガクセキモンマエ」と叫んでいたそうである。 ある電車運転手は途中で停車して共同便所へ一時雲隠れしたそうである。こうなると運転手にも人間味が出て来るから妙である。 矢来下行き電車に乗って、理・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・ 電柱の雀がからたち寺へ飛んで行く。人間の世界は何もかも変って行くが、雀はおそらく千年前の雀と同じであろう。 またある日。 赤門からはいって行く。欅の並木をつつむ真昼の寒い霧。向うから幸福な二人連れが来てすれちがう。また向うから・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
学校の昼の休みに赤門前の友の下宿の二階にねころんで、風のない小春日の温かさを貪るのがあの頃の自分には一つの日課のようになっていた。従ってこの下宿の帳場に坐っていつもいつも同じように長い煙管をふすべている主婦ともガラス障子越・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・彼に好意をもって見られた『新思潮』は久米、芥川その他の赤門出身の文学者であった。けれども、漱石は大学の教授控室になじめなかった。「大学の学問」について疑問を抱いていた。博士号をおくられたときは、それをことわった。 日本の戸籍と、公文書か・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・ 丁度、その頃赤門の近くに、貸家を世話する商売人があったので、そこへ行って頼んだ。三十円位で、ガスと水道のある、なるたけ本郷区内という注文をしたのである。 考えて見ると、それから一年位経つか経たないうちに、外国語学校教授で、英国官憲・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・そういう声で、おゆきは赤門の門番をしている夫の浅吉のことを、あっさん、あっさんと云って話した。あっさんがね、お前さん、こういうんだよ、いけすかないったらありゃしないじゃないか、ねえ、などと笑いながら、ついて来た女中と喋っているおゆきの話しか・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・ 〔約二百字欠〕むほどはっきり思い起した。―― 余り、横道に入らず、又、家のことに戻ろう。 今居る片町十番地の家が見つかったのは、八月の下旬であった。 赤門前に頼み始めた頃から、此処に空家のあることは分って居たのだ。が、自分・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
出典:青空文庫