・・・昨晩やっと及第いたしましてこちらに赴任いたしました。」「ハッハッハ。そうですか。それは結構でした。もう電報をおかけでしたか。」「はい。」 そこでネネムも全く感服してそれから警察長の家を出てそれから又グルグルグルグル巡視をして、お・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・彼女が二十五歳で中国のキリスト教女学校に赴任して来たとき、一番若い、一番美しくてやさしいC女史は、どんなに崇拝の的になったろう。P牧師も、きっと彼女の良人になる人だろうと思われるほど、彼女を崇拝した。しかし三年たってP牧師が休暇帰国して来た・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・なる小諸の塾の若い教師として藤村が赴任した内的な理由は、そこにあったと思える。 都会の遽しさや早老を厭わしく思った時、藤村は心に山を描いた。幼心に髣髴とした山々を。故郷の山を。明治三十二年から三十三年までの一年に編まれた『落梅集』は、実・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・小官吏の娘アンナ・カラヴァーエは中学を卒業し、農村小学校の教師として赴任した頃だった。マリーヤ・マリッチはペテルブルグで教育を勉強していた。眼玉の大きい韃靼の血の混った娘リディア・セイフリナはそのころは二十前後で、タシュケントやウラジ・カウ・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・互に諒解が行ったらしいが、明治三十二年の末頃生れて百日目であった私を連れて、北海道の札幌へ赴任する迄の夫婦の生活は、いつもまわりで嵐が吼え猛っているような有様でした。結婚第一日目から父は祖父と客間で食事をし、母は姑その他と茶の間で食事をし、・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
・・・八月の半頃に、F君は山口高等学校に聘せられて赴任した。 その又次の年の三月に、私は役が変って東京へ帰った。丁度四年目に小倉の土地を離れたのである。 ―――――――――――― 私は無妻で小倉へ往って、妻を連れて東京・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・仲平は六十六で陸奥塙六万三千九百石の代官にせられたが、病気を申し立てて赴任せずに、小普請入りをした。 住いは六十五のとき下谷徒士町に移り、六十七のとき一時藩の上邸に入っていて、麹町一丁目半蔵門外の壕端の家を買って移った。策士雲井龍雄と月・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・ところが筑紫へ赴任する前に、ある日前栽で花を見ていると、内裏を拝みに来た四国の田舎人たちが築地の外で議論するのが聞こえた。その人たちは玉王を見て、あれはらいとうの衛門の子ではないかと言って騒いでいたのである。玉王はそれを聞いて、自分が鷲にさ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫