・・・呼びながら一向出発せずに豆腐屋のような鈴ばかり鳴し立てている櫓舟に乗り、石川島を向うに望んで越前堀に添い、やがて、引汐上汐の波にゆられながら、印度洋でも横断するようにやっとの事で永代橋の河下を横ぎり、越中島から蛤町の堀割に這入るのであった。・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ところが越中島の糧秣廠がやけ両国の方がやけ、被服廠あとがやけ四方火につつまれ川の真中で、立往生をした。男と云えば、船頭と自分と二人ぎりなので五つの子供まで、着物で火を消す役につき、二歳の子供は恐怖で泣きもしない。 そのうちに、あまり火が・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
出典:青空文庫