・・・それならどうして、この文明の日光に照らされた東京にも、平常は夢の中にのみ跳梁する精霊たちの秘密な力が、時と場合とでアウエルバッハの窖のような不思議を現じないと云えましょう。時と場合どころではありません。私に云わせれば、あなたの御注意次第で、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・個人意識の勃興がおのずからその跳梁に堪えられなくなったのだと批評された。しかしそれは正鵠を得ていない。なぜなればそこにはただ方法と目的の場所との差違があるのみである。自力によって既成の中に自己を主張せんとしたのが、他力によって既成のほかに同・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 中にも、こども服のノーテイ少女、モダン仕立ノーテイ少年の、跋扈跳梁は夥多しい。…… おなじ少年が、しばらくの間に、一度は膝を跨ぎ、一度は脇腹を小突き、三度目には腰を蹴つけた。目まぐろしく湯呑所へ通ったのである。 一樹が、あの、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・初手の烏もともに、就中、後なる三羽の烏は、足も地に着かざるまで跳梁す。彼等の踊狂う時、小児等は唄を留む。一同 魔が来た、でんでん。影がさいた、もんもん。(四五度口々に寂しく囃ほんとに来た。そりゃ来た。小児のうちに一人、誰・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・また厨裡で心太を突くような跳梁権を獲得していた、檀越夫人の嫡女がここに居るのである。 栗柿を剥く、庖丁、小刀、そんなものを借りるのに手間ひまはかからない。 大剪刀が、あたかも蝙蝠の骨のように飛んでいた。 取って構えて、ちと勝手は・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・もとより私は畜犬に対しては含むところがあり、また友人の遭難以来いっそう嫌悪の念を増し、警戒おさおさ怠るものではなかったのであるが、こんなに犬がうようよいて、どこの横丁にでも跳梁し、あるいはとぐろを巻いて悠然と寝ているのでは、とても用心しきれ・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・その埋め合わせというわけでもないかもしれないが、昔から相当に戦乱が頻繁で主権の興亡盛衰のテンポがあわただしくその上にあくどい暴政の跳梁のために、庶民の安堵する暇が少ないように見える。 災難にかけては誠に万里同風である。浜の真砂が磨滅して・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・ 現今物理学の研究問題は、分子、原子、エレクトロン、エネルギー素量となって、至るところに混乱系が跳梁している。プロバビリティの問題、エントロピーの時計の用途は存外に広いという事を思い出すに格好な時機ではあるまいか。 時。エントロピー・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・ ねずみの跳梁はだんだんに劇烈になるばかりであった。昼間でもちょろちょろ茶の間に顔を出したりした。ある日の夕方二階で仕事をしていると、不意に階下ではげしい物音や人々の騒ぐ声が聞こえだした。行って見ると、玄関の三畳の間へねずみを二匹追い込・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・婦人の知っているのはそればかりとされている恋愛にあっても、そういう相互関係のなかでは、やはり婦人のうちなる暴君か奴隷かが跳梁して、つまりは彼のもう一つ別な有名な言葉、すなわち、「女には鞭をもって向え」という結論をも導き出せたのだろう。歴史の・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
出典:青空文庫