・・・細引にぐるぐる括られたまま、目に見えぬペダルを踏むようにやはり絶えず動いている。常子は夫を劬わるように、また夫を励ますようにいろいろのことを話しかけた。「あなた、あなた、どうしてそんなに震えていらっしゃるんです?」「何でもない。何で・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・するとそのひっそりした中に、板の間を踏む音がしたと思うと、洋一をさきに賢造が、そわそわ店から帰って来た。「今お前の家から電話がかかったよ。のちほどどうかお上さんに御電話を願いますって。」 賢造はお絹にそう云ったぎり、すぐに隣りへはい・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・人は大地を踏むことにおいて生命に触れているのだ。日光に浴していることにおいて精神に接しているのだ。 それゆえに大地を生命として踏むことが妨げられ、日光を精神として浴びることができなければ、それはその人の生命のゆゆしい退縮である。マルクス・・・ 有島武郎 「想片」
・・・一つの声は二つの道のうち一つの道は悪であって、人の踏むべき道ではない、悪魔の踏むべき道だと言った。これは力ある声である。が一つの道のみを歩む人がついに人でなくなることは前にも言ったとおりである。一二 今でもハムレットが深厚な・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・床の上を重そうな足で踏む響がした。クサカは知らぬ人の顔を怖れ、また何か身の上に不幸の来るらしい感じがするので、小さくなって、庭の隅に行って、木立の隙間から別荘を見て居た。 其処へレリヤは旅行の時に着る着物に着更えて出て来た。その着物は春・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ トウン――と、足拍子を踏むと、膝を敷き、落した肩を左から片膚脱いだ、淡紅の薄い肌襦袢に膚が透く。眉をひらき、瞳を澄まして、向直って、「幹次郎さん。」「覚悟があります。」 つれに対すると、客に会釈と、一度に、左右へ言を切って・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・がたがた、土間を踏む下駄の音。 五「さあ、お上り遊ばして、まあ、どうして貴下。」 とまた店口へ取って返して、女房は立迎える。「じゃ、御免なさい。」「どうぞこちらへ。」と、大きな声を出して、満面の笑顔を・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・外には草を踏む音もせぬ。おとよはわが胸の動悸をまで聞きとめた。九十九里の波の遠音は、こういう静かな夜にも、どうーどうーどうーどうーと多くの人の睡りをゆすりつつ鳴るのである。さすがにおとよは落ちつきかね、われ知らず溜息をつく。「おとよさん・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・縦令舞台へ出る役割を振られてもいよいよとなったら二の足を踏むだろうし、踊って見ても板へは附くまい。が、寝言にまでもこの一大事の場合を歌っていたのだから、失敗うまでもこの有史以来の大動揺の舞台に立たして見たかった。 ヨッフェが来た時、二葉・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ 寺ときいて二の足を踏むと、浅草寺だって寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なのである。 法善寺の性格を一口に説明するのはむずかしい。つまりは、ややこしいお寺なのである。そしてまた「やや・・・ 織田作之助 「大阪発見」
出典:青空文庫