・・・の心像を踏段として「蒲団丸げてものおもい居る」という句ができあがってしまえば、もはやそんな連想は必ずしも問題にしなくてよい。読者にとってはむしろ問題にしないほうがよいのであろう。そうして単に雪後の春月に対して物思う姿の余情を味わえば足りるで・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・群衆をかきわけて飛び出した書類入鞄を抱え瘠せた赤髭の男が、雨外套の裾をひるがえして電車の踏段に片足かけ、必死になって ――入り給え! 入り給え!とやっている。電車は男を外へはみ出させたまんま動き出した。赤髭の男は、断然自分の肩と意志・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・事務所のわきにフォードの幌形自動車がとまって、踏段に片足かけ、パイプをほじっているのは、縞シャツのアメリカ技師だ。洒落た鎌と槌との飾りをつけた小屋に、国立出版所の売店が本をならべている。―― 大体ソヴェト同盟の五ヵ年計画は、いろいろと予・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・二三段石の踏段を降りて、門から玄関までの敷石を渡ることになっている。細長い、樫の木の生えた、狭く薄暗い門先だ。そこに、犬小舎が置いてある。軒下ではない。門柱の直ぐ傍だ。何だか粘土質らしい、敷石はずれの地びたの上に、古びた木造の犬小舎がある。・・・ 宮本百合子 「吠える」
・・・ 五人の乗客は、傾く踏み段に気をつけて農婦の傍へ乗り始めた。 猫背の馭者は、饅頭屋の簀の子の上で、綿のように脹らんでいる饅頭を腹掛けの中へ押し込むと馭者台の上にその背を曲げた。喇叭が鳴った。鞭が鳴った。 眼の大きなかの一疋の蠅は・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫