・・・俺は大いに腹が立ったから、いきなり車夫を蹴飛ばしてやった。車夫の空中へ飛び上ったことはフット・ボオルかと思うくらいである。俺は勿論後悔した。同時にまた思わず噴飯した。とにかく脚を動かす時には一層細心に注意しなければならぬ。……」 しかし・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・集る者は大抵四十から五十、六十の相当年輩の男ばかりで、いずれは道楽の果、五合の濁酒が欲しくて、取縋る女房子供を蹴飛ばし張りとばし、家中の最後の一物まで持ち込んで来たという感じでありました。或いは又、孫のハアモニカを、爺に借せと騙して取上げ、・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 私がお茶を持って客間へ行ったら、誰やらのポケットから、小さい林檎が一つころころところげ出て、私の足もとへ来て止り、私はその林檎を蹴飛ばしてやりたく思いました。たった一つ。それをお土産だなんて図々しくほらを吹いて、また鰻だって後で私が見・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・折りかさなって岩からてんらく、ざぶと浪をかぶって、はじめ引き寄せ、一瞬後は、お互いぐんと相手を蹴飛ばし、たちまち離れて、謂わば蚊よりも弱い声、『海野さあん。』私の名ではなかった。十年まえの師走、ちょうどいまごろの季節の出来ごとです。 ―・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・先生は倒れる襖を避けて、さっと壁際に退いてその拍子に七輪を蹴飛ばした。薬鑵は顛倒して濛々たる湯気が部屋に立ちこもり、先生は、「あちちちちち。」と叫んではだか踊りを演じている。それとばかりに私たちは、七輪からこぼれた火の始末をして、どうし・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・バケツ蹴飛ばした。四畳半に来て、鉄びん障子に。障子のガラスが音たてた。ちゃぶ台蹴った。壁に醤油。茶わんと皿。私の身がわりになったのだ。これだけ、こわさなければ、私は生きて居れなかった。後悔なし。 月 日。 五尺七寸の毛むくじゃら・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・そう言って、魔法の祭壇をどんと蹴飛ばし、煖炉にくべて燃やしてしまった。祭壇の諸道具は、それから七日七晩、蒼い火を挙げて燃えつづけていたという。老婆は、森へ帰り、ふつうの、おとなしい婆さんとして静かに余生を送ったのである。 これを要するに・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・やはり陸へ上がっているあひるは蹴飛ばしなぐりつけて池の中へ追い込んでやるのが正当であるかもしれない。人間の子供でも時々いじめ苦しめ、かついだりだましたりするのがかえって現実の世の中に生きて行く道を授けることにならないとも限らないのである。飲・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ 要するに西鶴が冷静不羈な自分自身の眼で事物の真相を洞察し、実証のない存在を蹴飛ばして眼前現存の事実の上に立って世界の縮図を書き上げようとしている点が、ある意味で科学的と云っても大した不都合はないと思われる。 科学者にも色々の型・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・カのレビューの著しくちがうと思った点は、この現在のアメリカのものの方が一層徹底的に無意味で、そのために却ってさっぱりしていて嫌味が少ないことと、それからもう一つは優美とか典雅とかいう古典的要素の一切を蹴飛ばしてしまって、旺盛な生活力を一杯に・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
出典:青空文庫