・・・わしの山は見込みがある、どうだい、身代二十倍になるのだぞ、と威張って、死んでゆきました。まえから、心臓が、ひどく悪かったのです。木枯しのおそろしく強い朝でしてな。あわれな話ですね。けれども、あの子は、見どころあります。それから母子ふたりで、・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・水戸様時分に繁昌した富坂上の何とか云う料理屋が、いよいよ身代限りをした。こんな事をば、出入の按摩の久斎だの、魚屋の吉だの、鳶の清五郎だのが、台所へ来ては交る交る話をして行ったが、然し、私には殆ど何等の感想をも与えない。私は唯だ来春、正月でな・・・ 永井荷風 「狐」
・・・処が実際はそうでは無かった。身代を皆食いつぶしていたのだ。其後熊本に居る時分、東京へ出て来た時、神田川へ飄亭と三人で行った事もあった。これはまだ正岡の足の立っていた時分だ。 正岡の食意地の張った話というのは、もうこれ位ほか思い出せぬ。あ・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・すなわち他にあらず、身代の貧乏、これなり。およそ日本国中の人口三千四、五百万、戸数五、六百万の内、一年に子供の執行金五十円ないし百円を出して差支なき者は、幾万人もあるべからず。一段下りて、本式の学問執行は手に及ばぬことなれども、月に一、二十・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・世の開るにしたがい、不善の輩もしたがって増し、平民一人ずつの力にては、その身を安くし、その身代を護るに足らず。ここにおいて一国衆人の名代なる者を設け、一般の便不便を謀て政律を立て、勧善懲悪の法、はじめて世に行わる。この名代を名づけて政府とい・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・体の大きいひょうかんな働きてで、どんどん身代をこしらえた。若い時、村の池で溺れかかった中学生を救った時右の人さし指をくい切られて、その指は真中の節からない。よく酒を飲む。女房は、おしまという。亭主に負けない黒い顔で、眼の丸い働きものです。村・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・ 御身なりと楽器と花束についやすお金で身代限りまでなされて文を送った婦人の門にパンのかけらをほおばりなされたり、歌う声をよくしようとて滝壺に座って歌ってござるうちに目がまわってそのままどこに行かれたか先のわからぬ様になられたも、フトもれ・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・しかし不幸な事には、妻をいい身代の商人の家から迎えた。そこで女房は夫のもらう扶持米で暮らしを立ててゆこうとする善意はあるが、ゆたかな家にかわいがられて育った癖があるので、夫が満足するほど手元を引き締めて暮らしてゆくことができない。ややもすれ・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫