・・・ と、色男とわかれた若い芸者は、お酒のはいっているお茶碗を持って身悶えする。ねえさん芸者そうはさせじと、その茶碗を取り上げようと、これまた身悶えして、「わかる、小梅さん、気持はわかる、だけど駄目。茶碗酒の荒事なんて、あなた、私を殺し・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。 朝は、意地悪。「お父さん」と小さい声で呼んでみる。へんに気恥ずかしく、うれしく、起きて、さっさと蒲団をたたむ。蒲団を持ち上げるとき、よいしょ、と掛声し・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・深夜、戸外でポチが、ばたばたばた痒さに身悶えしている物音に、幾度ぞっとさせられたかわからない。たまらない気がした。いっそひと思いにと、狂暴な発作に駆られることも、しばしばあった。家主からは、さらに二十日待て、と手紙が来て、私のごちゃごちゃの・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・緑がまぶしく、眼にちかちか痛くって、ひとり、いろいろ考えごとをしながら帯の間に片手をそっと差しいれ、うなだれて野道を歩き、考えること、考えること、みんな苦しいことばかりで息ができなくなるくらい、私は、身悶えしながら歩きました。どおん、どおん・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・――なんとかして、記憶の蔓をたどっていって、その人の肖像に行きつき、あッ、そうか、あれか、と腹に落ち込ませたく、身悶えをして努めるのだが、だめである。その人が、どこの国の人で、いつごろの人か、そんなことは、いまは思い出せなくていいんだ。いつ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・冬の日本海は、どす黒く、どたりどたりと野暮ったく身悶えしている。 海に沿った雪道を、私はゴム長靴で、小川君はきゅっきゅっと鳴る赤皮の短靴で、ぶらぶら歩きながら、「軍隊では、ずいぶん殴られましてね。」「そりゃ、そうだろう。僕だって・・・ 太宰治 「母」
・・・職務ゆえ、懸命にこらえて、当りまえの風を装って教えているのだ、それにちがいないと思えば、なおのこと、先生のその厚顔無恥が、あさましく、私は身悶えいたしました。その生理のお時間がすんでから、私はお友達と議論をしてしまいました。痛さと、くすぐっ・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・起きあがって雨戸を繰りあけ、見ると隣りの家の竹垣にむすびつけられている狆が、からだを土にこすりつけて身悶えしていた。三郎は、騒ぐな、と言って叱った。狆は三郎の姿をみとめて、これ見よがしに土にまろび竹垣を噛み、ひとしきり狂乱の姿をよそおい、き・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ある新聞社が、ミス・日本を募っていた時、あの時には、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りない事に気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・それ故、娘である私とのいきさつに於ても、婦人雑誌で典型づけている母性というものとは、較べものにならない烈しさ、相剋、苦しい愛情の身悶えのようなものがありました。 強い人間にとっては重荷であるが面白い、弱い人間にとっては益々その人を弱くし・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
出典:青空文庫