・・・傍におりく。車屋の娘。撫子 今日は――お客様がいらっしゃるッて事だから、籠も貸して頂けば、お庭の花まで御無心して、ほんとうに済みませんのね。りく 内の背戸にありますと、ただの草ッ葉なんですけれど、奥さんがそうしてお活けなさい・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・ 予も早く浜に行きたいは子どもらと同じである、姉夫婦もさあさあとしたくをしてくれる。車屋が来たという。二十年他郷に住んだ予には、今は村のだれかれ知った顔も少ない。かくて紅黄の美しいりぼんは村中を横ぎった。 お光さんの夫なる人は聞いた・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・どこから出たかと思う様に、一人の車屋がいつの間にか予の前にきている。「旦那さんどちらで御座います。お安く参りましょう、どうかお乗りなして」という。力のない細い声で、如何にも淋しい風をした車屋である。予はいやな気持がしたので、耳も貸さずに・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・そのとき、おばあさんはあや子を振り向いて、「私の家は、この道をどこまでもまっすぐにいって、突き当たったら左に曲がって、一丁ばかりゆくと車屋がある。それから四軒めの家です。海ほおずきがたくさんありますよ。」といいました。あや子はしばらく立・・・ 小川未明 「海ほおずき」
・・・いう男が、或夏の晩他所からの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にしながら、てくてく馬道の通りを急いでやって来て、さて聖天下の今戸橋のところまで来ると、四辺は一面の出水で、最早如何することも出来ない、車屋と思ったが、あたりには、人の影もない・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・容易に分からぬも道理、某方というその某は車屋の主人ならんとは。とある横町の貧しげな家ばかり並んでいる中に挾まって九尺間口の二階屋、その二階が「活ける西国立志編」君の巣である。「桂君という人があなたの処にいますか」「ヘイいらっしやいま・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ジメ/\した田の上に家を建てゝ、そいつを貸したり、荷馬車屋の親方のようなことをやったり、製材所をこしらえたりやっていた。はじめのうちは金が、──地方の慾ばり屋がどんどん送ってよこすので──豊富で給料も十八円ずつくれたが、そのうち十七円にさげ・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・掛け取りに来た車屋のばあさんに頼んで、なんでもよいからと桂庵から連れて来てもらったのが美代という女であった。仕合わせとこれが気立てのやさしい正直もので、もっとも少しぼんやりしていて、たぬきは人に化けるものだというような事を信じていたが、とに・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・ わたしがこの質屋の顧客となった来歴は家へ出入する車屋の女房に頼んで内所でその通帳を貸してもらったからで。それから唖々子と島田とがつづいて暖簾をくぐるようになったのである。 もうそろそろ夜風の寒くなりかけた頃の晦日であったが、日が暮・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・かえってそのほとりの大木に栗の花のような花の咲いて居たのがはや夏めいて居た。車屋に沿うて曲って、美術床屋に沿うて曲ると、菓子屋、おもちゃ屋、八百屋、鰻屋、古道具屋、皆変りはない。去年穴のあいた机をこしらえさせた下手な指物師の店もある。例の爺・・・ 正岡子規 「車上の春光」
出典:青空文庫