・・・すすきの穂が車窓にすれすれに、そしてわれもこうの花も咲いていた。青味がちな月明りはまるで夜明けかと思うくらいであった。しかし、まだ夜が明けていなかった。 やがて軽井沢につき、沓掛をすぎ、そして追分についた。 薄暗い駅に降り立つと、駅・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・ やがて、父娘は大阪行きの汽車に乗った。車窓に富士が見えた。「ああ、富士山!」 寿子は窓から首を出しながら、こうして汽車に乗っている間は、ヴァイオリンの稽古をしなくてもいい、今日一日だけは自分は自由だと思うと、さすがに子供心には・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ この時赤羽行きの汽車が朝日をまともに車窓に受けて威勢よく走って来た。そして火夫も運転手も乗客も、みな身を乗り出して薦のかけてある一物を見た。 この一物は姓名も原籍も不明というので、例のとおり仮埋葬の処置を受けた。これが文公の最後で・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・そこらの林や、立木が遠い山を中心に車窓の前をキリ/\廻転して行った。いつか、列車は速力をゆるめた。と、雪をかむった鉄橋が目前に現れてきた。「異状無ァし!」 鉄橋の警戒隊は列車の窓を見上げて叫んだ。「よろしい! 前進。」 そし・・・ 黒島伝治 「氷河」
九月二十九日。二時半上野発。九時四十三分仙台着。一泊。翌朝七時八分青森行に乗る。 仙台以北は始めての旅だから、例により陸地測量部二十万分の一の地図を拡げて車窓から沿路の山水の詳細な見学をする。北上川沿岸の平野には稲が一・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・遠方の山などは二十万分一でことごとく名前がわかり、付近の地形は五万分一と車窓を流れる透視図と見比べてかなりに正確で詳細な心像が得られる。しかしもし地形図なしで、これだけの概念を得ようとしたら、おそらく一生を放浪の旅に消耗しなければなるまい。・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・こんな話をしながら徐行していると、車窓の外を通りかかった二三人の学生が大きな声で話をしている。その話し声の中に突然「ナンジャモンジャ」という一語だけがハッキリ聞きとれた。同じ環境の中では人間はやはり同じことを考えるものと見える。 アラン・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・と、傍に立って車窓を見上げている六ツばかりの男の児の手を引っぱった。白っぽい半洋袴服をつけ、役者の子のような鳥打帽をかぶったその男の児は、よろけながら笑った。「大丈夫だよ」 婆さんは荒っぽい愛惜を現した顔で子供を眺めながら云った・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・刻み目の粗い田舎の顔の上へ、車窓をとび過る若葉照りが初夏らしく映った。〔一九二七年八月〕 宮本百合子 「北へ行く」
・・・〔欄外に〕 新聞に天皇が多摩陵へ御出かけのときの車窓に立った憂鬱な写真を見た すると今度は自分が立って喋って居る。「私は眠れません、世界に思想がありすぎるのです、 まだ字を知らなかった時から人間はこんな形で思想を・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
出典:青空文庫